七 においの追憶
鼻は口の上に建てられた門衛小屋のようなものである。命の親のだいじな消化器の中へ侵入しようとするものを一々戸口で点検し、そうして少しでもうさん臭いものは、即座にかぎつけて拒絶するのである。
人間の文化が進むに従ってこの門衛の肝心な役目はどうかすると忘れられがちで、ただ小屋の建築の見てくれの美観だけが問題になるようであるが、それでもまだこの門衛の失職する心配は当分なさそうである。感官を無視する科学者も時にはにおいで物質を識別する。むつかしやの隠居は小松菜(こまつな)の中から俎板(まないた)のにおいをかぎ出してつけ物の皿(さら)を拒絶する。一びん百円の香水でもとにかく売れて行くのである。一方ではまた、嗅覚(きゅうかく)と性生活との関係を研究している学者もあるくらいである。
嗅覚につながる記憶ほど不思議なものはないように思う。たとえば夏の夕に町を歩いていて、ある、ものの酸敗したような特殊なにおいをかぐと、自分はどういうものかきっと三つ四つのころに住んでいた名古屋(なごや)の町に関するいろいろな記憶をよび起こされる。たとえばまた、銀座(ぎんざ)松屋(まつや)の南入り口をはいるといつでも感じられるある不思議なにおいは、どういうものか先年アンナ・パヴロワの舞踊を見に行ったその一夕の帝劇(ていげき)の観客席の一隅(いちぐう)に自分の追想を誘うのである。
郷里の家に「ゴムの木」と称する灌木(かんぼく)が一株あった。その青白い粉を吹いたような葉を取って指頭でもむと一種特別な強い臭気を放つのである。この木は郷里の家以外についぞどこでも見たという記憶がない。近ごろよく喫茶店(きっさてん)などの卓上を飾るあの闊葉(かつよう)のゴムの木とは別物である。しかし今でも時々このいわゆる「ゴムの木」の葉のにおいに似たにおいをかぐことがある。するときっとこの昔の郷里のゴムの木のにおいを思い出すと同時にある幼時の特別な出来事の記憶が忽然(こつぜん)とよみがえって来るのである。
なんでも南国の夏の暑いある日の小学校の教場で「進級試験」が行なわれていた。おおぜいの生徒の中に交じって自分も一生懸命に答案をかいていた。ところが、どうしたわけか、その教場の中に例のいやなゴムの葉の強烈なにおいがいっぱいにみなぎっていて、なんとも言われない不快な心持ちが鼻から脳髄へ直接に突き抜けるような気がしていた。それだのにおおぜいの他の生徒も監督の先生もみんな平気な顔をしてそんなにおいなど夢にも気がつかないでいるように思われた。それがまた妙に心細くひどくたよりなく思われた。
たとえば、下肥(しもご)えのにおいやコールタールのにおいには、われわれに親しい人間生活の幻影がつきまとっている。それに付帯した親しみもありなつかしみもありうるであろう。しかし異国的なゴムの葉のにおいばかりは、少なくも当時の自分の連想の世界を超越した不思議な魔界の悪臭であった。この悪臭によって自分はこの現世から突きはなされてただ一人未知の不安な世界に追いやられるような心細さを感ずるのであった。もちろんその当時そんな自覚などあろうはずはなかったが、しかし名状のできないこの臭気に堪えかねて、とうとう脳貧血を起こしたのであった。
もっとも幼時の自分は常に病弱で神経過敏で、たとえば群集に交じって芝居など見ていても、よく吐きけを催したくらいであるから、その時もやはり試験の刺激の圧迫ですでに脳貧血を起こしかけていたために、少しの異臭が病的に異常に強烈な反応を促進したかもしれない。
それはとにかく、今でもいくらかこれに似た木の葉のにおいをかぐと、必ずこの昔の郷里の小学校の教場のある日のヴィジョンがありありと現われる。そうしてこれに次いでいろいろさまざまな幼時の記憶が不可解な感応作用で呼び出されるのである。

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