八 鏡の中の俳優I氏
某百貨店の理髪部へはいって、立ち並ぶ鏡の前の回転椅子(かいてんいす)に収まった。鏡に写った自分のすぐ隣の椅子に、半白で痩躯(そうく)の老人が収まっている。よく見ると、歌舞伎(かぶき)俳優で有名なIR氏である。鏡の中のI氏は、実物の筆者のほうを時々じろりじろりとながめていた。舞台で見る若さとちがって、やはりもうかなり老人という感じがする。自分のほうでもひそかにこの人の有名な耳と鼻の大きさや角度を目測していた。
この人の芝居でいちばん自分の感心したのは船上の盛綱(もりつな)の物語の場である。しかしそれよりもこの人に感心したのは氏が先年H子夫人と同伴で洋行したときに、パリ在住の通信員によって某紙上に報ぜられたこの夫妻の行動に関する記事を読んだときである。パリのまん中でパリジャンを「異人」と呼び、アンバリードでナポレオンの墓を見て「ナンダやっぱりヤソじゃないか」と言ったとある。H夫人は、日本からわざわざ持参のホオズキを鳴らしながら、相手かまわずいっさい日本語で買い物をして歩いた。自分はこの記事を読んだときに実に愉快になってしまって、さっそく切抜帳の中にこれらの記事をはり込んだことであった。西洋人なら乞食(こじき)でも尊敬しようといったような日本人の多い中に、こういう純粋な日本人の江戸っ子が、一人でもまだ存在するということが当時の自分にはうれしかったのである。
I氏の下側から見た鼻の二等辺三角形の頂角を目測しながら自分がつい数日前に遭遇したある小事件を思い出すのであった。
ある途上で、一人の若い背の高い西洋人の前に、四五人の比較的に背の低いしかし若くて立派な日本人が立ち並んで立ち話をしていた。何を話しているかはわからなかったが、ただ一瞥(いちべつ)でその時に感ぜられたことは、その日本の紳士たちのその西洋人に対する態度には、あたかも昔の家来が主人に対するごとき、またある職業の女性が男性に対するごとき、何かしらそういったような、あるものがあるように感ぜられた。その西洋人がどれほどえらい人であったかは知らないが、単にえらさに対する尊敬とは少しちがったある物があるように感ぜられた。そうして、その時の自分にはそれがひどく腹立たしくも情け無くも思われまたはなはだしく憂鬱(ゆううつ)に感ぜられた。
ことによると、実は自分自身の中にも、そういうふうに外国人に追従(ついしょう)を売るようなさもしい情け無い弱点があるのを、平素は自分で無理にごまかし押しかくしている。それを今眼前に暴露されるような気がして、思わずむっとして、そうして憂鬱になったのかもしれない。
それはとにかく、自分はその同じ日の晩、ある映画の試写会に出席した。映写の始まる前に観客席を見回していたら、中央に某外国人の一団が繩張(なわば)りした特別席に陣取っていた。やがて、そこへ著名な日本の作曲家某氏夫妻がやって来てこの一団に仲間入りをした。まさに映写されんとする映画を作った監督はその某国の人であり、録音された音楽は全部この日本人の作曲である。見ているとこの外国人の一団はこの日本の作曲者を取り巻いてきわめて慇懃(いんぎん)な充分な敬意を表した態度で話しかけている。そうして、これに対するこの日本人は、たとえばまず弟子(でし)に対する教師ぐらいな、あるいは事によるともう少しいばった態度で、笑顔(えがお)一つ見せずにむしろ無愛想にあしらっている、というふうにともかくもその時の自分には見えたのである。それがなんとなくその時の自分には愉快であった。胸につかえていたものが一時に下がるような気がした。昼間見た光景がまさしく主客顛倒(てんとう)したのである。しかしこの昼と夜との二つの光景を見る順序が逆であったら、心持ちはまたおのずからちがったことであろう。批判はやはり「履歴の函数(かんすう)」である。
こんなことを思い出しながら俳優I氏の鼻や耳をながめていた。そうしてたとえば日本の学者や芸術家が一般にこのI氏の半分ののんびりした心持ちと日本人としての誇りとをもつ事ができたらどんなにいいだろうというような気がした。もちろん気がしただけである。
蒸すように暑い部屋(へや)の天井には電扇がゆるやかに眠そうに回っていた。窓越しに見えるエスカレーターには、下から下からといろいろの人形(じんけい)がせり上がっては天井のほうに消えて行った。ところてんを突くように人の行列が押し送られて行った。
気のついた時はもうI氏はいなかった。
政党大臣や大学教授や官展無審査員ならば、ところてんのようにお代わりはいつでもできる。しかしI氏くらいの一流の俳優はそう容易には補充できない。
そんな事を考えながら、自分もエスカレーターに乗ってM百貨店の出口に突き出されたのであった。
(昭和八年九月、改造)
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底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月29日作成
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