二 草市
七月十三日の夕方哲学者のA君と二人で、京橋(きょうばし)ぎわのあるビルディングの屋上で、品川沖(しながわおき)から運ばれて来るさわやかな涼風の流れに(けんぐ)しながら眼下に見通される銀座通(ぎんざどお)りのはなやかな照明をながめた。煤煙(ばいえん)にとざされた大都市の空に銀河は見えない代わりに、地上には金色の光の飛瀑(ひばく)が空中に倒懸していた。それから楼を下って街路へおりて見ると、なるほどきょうは盆の十三日で昔ながらの草市が立っている。
真菰(まこも)の精霊棚(しょうりょうだな)、蓮花(れんげ)の形をした燈籠(とうろう)、蓮(はす)の葉やほおずきなどはもちろん、珍しくも蒲(がま)の穂や、紅(べに)の花殻(はながら)などを売る露店が、この昭和八年の銀座のいつもの正常の露店の間に交じって言葉どおりに異彩を放っていた。手甲(てっこう)、脚絆(きゃはん)、たすきがけで、頭に白い手ぬぐいをかぶった村嬢の売り子も、このウルトラモダーンな現代女性の横行する銀座で見ると、まるで星の世界から天降(あまくだ)った天津乙女(あまつおとめ)のように美しく見られた。
子供の時分に、郷里の門前を流れる川が城山のふもとで急に曲がったあたりの、流れのよどみに一むらの蒲(がま)が生(お)い茂っていた。炎天のもとに煮えるような深い泥(どろ)を踏み分けては、よくこの蒲の穂を取りに行ったものである。それからというものは、今日までほとんど四十年の間ついぞ再びこの蒲を見た記憶がなかったように思うのである。
この蒲の穂を二三十本ぐらい一束ねにしたのをそっくりそのままにA君が買おうとして価を聞くと、売り手のおかみさんが少し困ったような顔をした。「みなさん、たいてい二本ずつお買いになりますが」という。すると、他の客を相手にしていた亭主(ていしゅ)が聞きつけて「いけませんいけません」という。つまり、二本ずつは売るが一わは売らないというのである。伝統は尊重しなければならない。哲学者のA君は、とうとう十銭を投じて二本だけで満足するほかはなかった。
少し歩いてからしなびた紅(べに)の花殻(はながら)をやはり二三本藁包(わらづと)にしたのを買った。また少し歩くと、数株の菱(ひし)を舗道に並べて売っている若い男がいた。A君はそれも一株買った。売り手の男が、なんだかひどくなつかしそうな顔をして、A君の郷里はどこかと聞いた。
この文化的日本の銀座の舗道の上に、びしょびしょにぬれて投げ出された数株の菱を見て、若い日の故郷の田舎(いなか)の水辺の夢を思い出す人は、自分らばかりではないと見える。
神代からなる蒲の穂や菱の浮き葉は、やはり今でも日本にあるにはあるのである。精霊棚(しょうりょうだな)を設けて亡魂を迎える人はやはり今でもあるのである。これがある限り日本はやはり日本である。そんな事を話しながら一九三三年の銀座を歩くのであった。
三 熱帯魚(その一)
百貨店の花卉部(かきぶ)に熱帯魚を養ったガラス張りの水槽(すいそう)が並んでいる。暑いある日のことである。どう見ても金持ちらしい五十格好のあぶらぎった顔をした一人の顧客が、若い店員を相手にして何か話している。水槽につけた紙札に魚の名と値段が書いてある。目高(めだか)ぐらいの魚が一尾二十五円もするのである。金持ちらしい客は「フム、これは安いねえ」「安いんだねえ」と繰り返しながらしきりに感心している。若い店員は心持ち顔を長くしたようであったが、「はあ、……比較的に」と答えた。そうして、ずうっと胸をそらしたのであった。

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