少し前に、iPadを我が家の茶の間に導入しました。
「使い方がわからない」と渡されても私らがわからない老人携帯からいつでも機種変できるように、画面タッチに慣れてもらうためです。
・・・という、口実。
それよりも、生物のごとく増殖する本を少しでも食い止めるために、電子書籍に手を出したのです。すみません。それでも新刊書店の店員です。
結果から言うと、マンガくらいならば電書でも充分かなーと思います。
多少の抑止になるし、処分の手間はかからない。処分の手間は結構な問題だったので、ありがたい限りでした。
けれども、読み物・文字物系に問題が出ました。「あれはどこだったかなー」とページを戻しにくいとか、機体そのものが想像よりも重くて長時間の方手持ちには不向きとか、快適に読むには不満指数が半分を少し超えてしまうのです。
とはいえ、半分を少し超えているだけの不満なので、あとは慣れてしまうことでしょうか。「このくらいならば人間が機械に合わせてもいいじゃないか」というレベルではありました。
・・・でもね、何冊か冊数をこなして読んでいるうちに、あることに気がついたのです。
それは、「読後の満足感が足りない」ことで、「足りない」というか、「無い」です!
・・・それはもう、思わぬ刺客でした。
残りページをチラと確認して、最後まで読んだのに、どうでもいい奥付まで見ちゃって、ようやく本を閉じる・・・表紙を自分に向けて閉じるから、厚めの本であるほど「パタン」という音が大きく聞こえる・・・。
・・・パタン、という音が無い。読み終わったんだよね。よみおわったんだよね?
電書を導入して初めて、最後の1文字を読んで「おもしろかったーーー!」とか「クソつまんなかったーーー!」とか思うまでが読書ではないことを知りました。
私の読書は!本を閉じるまで!!閉じて初めて、読み終わった!!!
今、殊能将之先生の「ハサミ男」を電書で読んでいます。絶好調に面白いので、読後に襲うであろう不満感を思うと、紙で買い直すかなーという気になってしかたがありません。
余談ですが、iPad購入第一の目的とされた親は、喜んでインターネットを使ってお料理検索しています。それしか使わないのか私らに、「ちょっとクックパッド取って!」と言ってきます。「ん?クックパッドはねぇぞ」

『ハサミ男』
講談社文庫
殊能将之・著
810円

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