この悩み・苦しみが消えてなくなったら、
わたしはどうなるだろう?
ときどき考えてしまう。
あれよりはこれよりはと比較したり、
もしああだったらこうだったらと仮定したり。
どちらも意味がないことだし、
結局なにがどうだったらいいのかなんてそうなってみなければ分からないことも、
よく分かっているつもりなのに、
何度も同じことをしてしまう。
けれどどうやったってどこかに悔しいという感覚が残っていて、
それは深いところでは消えていない気がしている。
だからその行為を時折繰り返してしまうんだろう。
もしこうじゃなかったら、もしこれさえなければ。
あれもこれもと言わない、これだけでいい。
これだけでいいのに。
わたしから見れば全然大したことじゃなくて悩んでいる人を見ても、
その人にしてみれば人生を大きく左右しそうなほど必死のこともあるだろう。
自分の人生を見直してみれば分かる。
昔のわたしのあの悩みは、今のわたしから見たら大したことないけれど、
あの頃のわたしにしてみれば本当に辛かったとか、
あの悩みにおいては、それなりに悩んではいたけれど大したことはなかったとか。
そうだとすれば、今のこの悩みも小さなものでもあり得るし、
やはり大きな物として残ることもあり得ると言える。
などと見方を変えて冷静に分析したところで、
「辛すぎる現状」はやっぱり相も変わらずそこにある。
自分ならとても乗り切れそうにないような苦しみを抱えている人を見れば、
思わず自分の状況でもありがたいことなんだという気持ちでいっぱいになるが、
乗り切れそうにないような苦しみを疑似体験したまま延々生活することはないから、
いつしか元通りわたしの気持ちが戻ってしまう。
なぜこんなことに?
なぜわたしが?
叫んでもなにも変わらない。
意味があるからこの状況が訪れているとも考えられる。
だとしてもひどい、と思ってしまうわたしが、それでもなお存在する。
もっとひどいことが世の中にいっぱいあることも分かる。
自分が今でも十分幸福であることも認めている。
けれど、この小さくも思われるひとつの原因のために、
感覚も生き方も生活も変わってしまったことが正直言ってすごく恨めしい。
こんなふうに翻弄されて生きたくはないのに。
完全に振り回されてしまっているじゃないか。
わたしのこれほどまでに重大な悩みも、
他人から見ればくだらない小さなことで、
笑い飛ばせるということもあるかもしれない。
とはいえ実際これと同じ悩みを持てばとても笑えないと思うし、
わたしより苦しむ人もいれば、わたしより明るく生きる人もいるだろう。
だからなんなんだ?
この苦しみさえ消えてくれたら、
わたしは思い切り片づけに邁進して綺麗な部屋を手に入れられるだろうか?
いや、綺麗な部屋を手に入れることが人生の目的ではないけれど、
今とは違ってやりたいことをやりたいようにやっていけるだろうか?
そりゃ、もちろん!
ってこころから思うけれど、
その状況が当たり前になったとしたら、
別の悩みをクローズアップさせることは想像に難くない。
だとしても、今よりはずっと健康的な生活ができるだろう。
なにもかも全部言い訳とも言える。
現実だけは常に現実としてそこにある。
仮定を妄想してもなにも変わらない。
問題は問題だと思うから問題なのだ。
そのとおりだわ!
だけど明日になったら忘れてしまう。
現実を見たら吹っ飛んでしまう。
未熟なのか。
甘えているのか。
自分の弱さ。
なにを教えているんだろう?
なにを試されているんだろう?
ありがとうございます。
感謝します。
愕然。
疲弊。
突然生き生き。
混沌。
頭の中がもうめちゃくちゃだ。
助けて。
鬱っぽいのか鬱なのか、
そんなことはどうでもいい。

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