まったく自分の好き勝手なありそうもない夢物語を思い描いて、
きっとみんなから見たら、
自分たちが今いるとこからかけ離れてるみたいな世界やストーリー、
真剣に思い描いては楽しんで、
そのときどきのお気に入りの世界を追いかけては貪って、
あっという間に時間は過ぎていく。
ただひたすらわたしは現実の世界から逃避するみたいに想像の世界に入り込んで、
数え切れないくらいの「現実の」時間を無駄にして、
ひょっとしたらわたしは想像の世界のほうに住んでいるのかもっていうくらい、
気づけば2時間3時間4時間経っていて、
もうすっかりどこか別の世界に飲み込まれている自分にようやく気づいたとき、
いつものことながら呆然とした。
忽然と消えるそれらの時間はまるで幻みたいに儚かった。
目に見える目の前に広がる世界こそが現実。
そうだと信じて疑わなくて当然だと思う。
色んな世界に入り込んでいく時間は今でさえ毎日ある。
いろんなことに遮られてしまうから、昔よりショートバージョンのことが多いけれど。
目の前に広がる「現実」と思われている世界がわたしを別の世界から呼び戻す。
ぼんやりしている間に過ぎていく時間は、
もったいなくて、非生産的で、偽物で、不要で、無駄。
こんな無駄な時間を、勿体無時間を、わたしはもう過ごしたくないんだ!
幾度となくそう思った。
最近はもうそうは思わなくなった。
多分たいていショートバージョンだから大目に見てるのかも。
諦めか、慣れか、それとも?
そして今日気づいたこと。
わたしは子供のころから、よく行っていたその世界は、
偽の世界で、嘘の世界で、作り物の世界で、ありもしない世界で、
ただひたすらそれは時間を無駄にするものだと思っていたけれど、
わたしはどうやってもそれをやめようとしなかったし、
やめられなかったし、
世界が遠のいて現実に引き戻されてハッとした瞬間はただただ驚くばかりで後悔はなく、
いつだってひたすら甘い魅惑の世界でありつづけた。
なにがそんなにわたしを魅了するのだろう。
今もなおその世界に入り浸りきりだ。
そして驚くことがひとつある。
その世界は、いつの間にかわたしの人生の中で実現していた。
なんてったって夢の世界。
わたし出自の自由気ままなとんでもストーリー。
それがいつの間にやら現実の世界にまで波及しているからびっくりする。
そのことに気づくこと自体ずっと後だったりすることも多い。
それらの経緯を言葉にして紡ぎ出せば、おとぎ話のようでまるで信憑性がない。
本当に実際にわたしに起きたことなんだけれども。
だから今日、はっきりと気がついた。
わたしが小さなころから入り浸っていたあの夢の世界、
あれは「想像の世界」でも「架空の世界」でもなく、
あれこそが紛れもない「現実」だったのだということに。
外の世界から見れば抜け殻みたいになっているわたしが旅をしていたその世界では、
わたしはもっと自由に生きていた!
何かに縛られることもなく自由に、もっと自由に、ずっと自由に。
2時間も3時間も4時間もわたしはその世界で旅し、自由に生きていた。
タイムトラベルとか空間移動とかではないけれど、
実際その世界は実在して、わたしが作り出した世界はいつしか本物になった。
何度も行って遊んでいる世界だから、
こっち側の世界で同じようなことが起こっても、
全然普通で、全然当たり前で、それが不思議だってことに気づきもしなかった。
ここは夢じゃないのよ。
ということは、夢のような世界も、現実と認識しているこの世界も、
同じということになるかもしれない、と。
わたしは今日も明日も、これから先もずっと、
ちょっとだけの時間でも見つけては夢=現実の世界に入り込んで遊ぶ。
「創造の世界」。
わたしはその場所で、わたしの人生を作っていたんだ。
今日もまた創造する。
明日もまた創造する。
そして、そのうち気づいたら、
目の前にそれらの世界が広がっているんだろう。
これまでの数え切れない経験からそのことはもはや確実だと思う。

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