そういえば、カレン・キングストンの本を途中で放っている。
以前ここで書いたところまでしか読んでいない。
知りたいことややりたいことがありすぎて、
後回しになっていた。
けれど今となってはもう悠長にさえ見えるその方法で自分を奮い立たせなくても、
もっと速いスピードでわたしの中でなにかが進んでいる。
また読みたい。
知りたいこと、やりたいことがありすぎる。
全部やったらいい。
実際の片づけをいっぱいやって、カレン・キングストンを読んで、
ということをしなくてもいいと思う。
片づけ関係のことを一日のうちなんでもいいからひとつでもやれば、
片づけ関係についてはそれでいい。
実際に片づけをするのも片づけの本を読むのも、片づけ関係に違いない。
この本を読まなくても自然と片づける毎日になってるので、
無理矢理読まなくてもいいときということだろう。
だけどまたときどきでも、ちょっとずつでも続きを読んでいきたい。
そういう知りたい気持ちはあるし、やりたいとも思う。
そして考えていたら、
最近はもう、やらないといけないと感じることがない。
やらされている感も今考えてみたら不思議となくなっている。
どれもこれも、やりたい、と思える。
これまではつまらないように見えていた雑事さえ。
無理矢理やらされているような人生、
毎日やるべきことで固められ、
やるべきことだけをやって、
その上その日予定していたやるべきとことの全部、あるいはほとんど、
やり遂げられなくて一日が終わっていく。
そこから生じる焦燥感や虚脱感で生きている人生は、
とても厳しい。
もうそんな人生は終わったかもしれない。
全部やりたいけど、全部はどう考えても無理と言い切る人もいるだろう。
現実的でないと多くの人が思うだろう。
そんなことやったら逆に壊れるよと言う人もいるだろう。
でも一度でもやってみただろうか?
特別な人にはできるだろうけど、
わたしみたいなタイプの人間には無理だろうと結論づけるだろうか。
けれど、
やりようによっては実は全然無理ではないんじゃない?
と言われたら、
その可能性はあるかも・・・とかわたしは信じてしまう。
その課程で起こるミラクルにこころがときめく。
相当トロいわたしにあるのは、
普通の人より相当早くあっという間に進んでしまう(ように見える)
みんなと同じだけ与えられた24時間。
たとえそれがちょっとずつだとしても、
やりたいことは全部やる。
そうやってやらされていることがなにもない、
自分のやりたいことだけで生きる人生は最高に素晴らしいだろう。
完璧主義を捨てて、小さくたくさん進んでいこう。
今そのスタートしたあたり。
もう始まっている。
あなたはここで、奇跡を目にすることになるかも??

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