少し前
カリノさんが、
「死ぬまでには片づけないと」
と書いているのをブログで知って、驚いた。
切り抜きの整理の件は笑える。
わたしもそう思う。
ただ、わたしは滅入ったことがない。
多分、死に悲しみを感じないからかもしれないけれど、
だからこそ、カリノさんのその感覚はわたしにとってとても新鮮だった。
面白いことに、
わたしは、
「死ぬまでに片づけられる」と思っていない。
じゃあ、
「死ぬまでに片づけられない」と思っているのかと聞かれると、
そうでもない。
「もうすぐ片づけられる」といつも思ってる。
夢見がちな楽天家だ。
長いことそう思ってるんだけど。
子供のころはすごく綺麗に片づけてる子だった。
持ってるものも少なくて。
いろんなものをほしがって、
ミノムシみたいに自分の周りを色んなもので固めて固めて固めて、
わたしはわたしを守ってるのだろうか?
いったいなにから?
考えを重ねたら、
片づけないことで、
わたしはわたしが次へ行くことを妨げていることが分かる。
いつかもその考えに辿り着いたけど、やっぱりそうなんだろう。
言い訳を作っているだけだ。
言い訳が多くなれば多くなるほどいいのだとしたら、
本当に行きたい場所から遠くなればなるほどいいと思っているというのか。
結局なにかから逃げたいということだろう。
しかも自分自身のせいではなく、
障害があったせいだということにしたいだけ。
その障害は、自分で作ったものなのに。
もうなにも怖れない?
そこには"怖れ"がはっきりと姿を現しているのに。
わたしは自分が勇気がある人間だと思ってきたし、
そのはずだと思っているのに、
よくそんなで勇気があるなんて言えるな。
とんだ臆病者だ。
わたしはわたしの人生に、100%の責任なんて持ってなかった。
誰かのせいとかなにかのせいとか、
もう考えたくもない。
全部わたし。
あるのはわたしの存在だけ。
この人生で、
本当にやらなきゃいけないことをやるために、
障害を全部排除しよう。
わたしは決心しないといけない。

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