わたしは物覚えがいいとか、物忘れがひどいとか、
それはよほど年を取らない限り年齢と関係ないと信じている。
実際、子供のころと比較して、現在の方が記憶力が悪いと感じたことはない。
ただ、昔より自分の中にある情報が多すぎて、
その莫大な情報の中から物事を選び出すのに時間がかかったり、
それ自体がときに困難であったりということは痛感している。
それと関係あると思うのだけど、
最近、期限に対してうっかりしてしまうことが多い。
一瞬、わたしの記憶が曖昧になりがちになっているのかと疑ったけれど、
実際は、生活の中で「期限があるもの」が多くなりすぎたためだと気づいた。
わたしが忘れてはならないものは幼いころはもっと少なかったし、
大人になって間もないころも大した量ではなかった。
けれど、今はなんだかとっても多い。
無駄に多い。
無駄に、というのは、ただ、
期限のある事柄を自分の中で無駄に増やしている、ということで、
それが問題であるということにもなるのだけれど。
けれどまあ、ある程度仕方がないだろう。
わたしは本気で多忙な人に比べれば全然多忙じゃないだろう。
分刻みのスケジュールで動く仕事人であり、
さらに子供の親であり、さらになにかの役割もあり、
と自分の役割が増えれば増えるほど、
自分のごく個人的な事柄に関する期限だけではなく、
自分の役割すべての事柄に関する期限も加算されることになる。
他人の分まで自分が管理してやらねば、という面倒見のいい人もいるだろう。
状況はどうあれ、みなそれぞれの人生を生きているわけだから、
それをどうやって管理して、どうやって乗り越えるかは、
自分のために自分で考えることになる。
わたしは、あまりにも多くなりすぎた期限のある事柄の見極めをし、
それが自分にこなせる量に抑えるとか、
あるいはそれよりも、不可能な事柄でない限り、
ギリギリまで引き延ばすのはやめて即座に片づけてしまうことを考えた。
むしろ、例外を除いては、
即座にできないような期限付きのものは諦める、
と設定した方がいいと思い至った。
とにかく、いつまでも期限は遠くにあると思わずに、
今やってしまうことが可能なことならばもう即座にやってしまうことだ。
今が無理なら、それがどれくらい大事な事柄かすぐに分かるようなメモをつけて、
期限前に分かるようにしておく必要がある。
わたしはダラダラして、どれもこれも曖昧に放置して、
わたしのこの記憶だけを信頼しきって大丈夫と思っている。
ありがたいことになんとか間に合うことがほとんどだし、
まあそれでも悪くはないのかもしれないけれど、
自分の中では気分がいいものでは決してない。
ひょっとしたら損をしてしまうこともあるだろう。
だからできることならすぐにやろうと決める。
結局時間が経てば、日々の膨大な情報に追いやられて、
記憶は思った以上に薄れてしまう。
だからすぐに片をつけることが必要なんだ。
そういう期限付きの事柄は日毎増えていき、
比較的新しいものを覚えていようとする努力のために、
脳は古いことを追いやってしまう性質があると実感している。
結局、これが先、これが先、というのが毎日増えて、
でも今日はちょっと、と先延ばして、
またこれが先、が増えて、
前の事柄は放置されほとんど忘れ去られ、
ある日突然舞い戻ってきて度肝を抜かれて冷や汗をかき、
最新の優先事項は後回しになって、
古いけど緊急度最高の事柄に従事するハメになる。
こんなふうに延々と悪循環が続いていく。
この流れを断ち切らなければならない。
もういい加減そうしなければ立ち行かない。
最初小川だったのがどんどんどんどん広くなってきて、
広大な大河に変化を遂げてしまった。
今わたしはその流れの真ん中にいる。
この流れを変えるには、どうしたってある一定の期間大きな力が、
流れに負けない強靱な力が必要になってくる。
わたしのいるこの流れはもはや小川じゃない。
もう小川じゃなくなってしまったんだ。

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