ちょっと前のある日、このブログに突如として拍手機能が出現した。
teacupブログが新機能として付け加えたようなのだけど、
とりあえず「デフォルトで採用!」的な唐突な設置に驚いた。
ところで、わたしが他のブログで最初に「拍手機能」なるものに
遭遇したのはもうずいぶん前のことで、
以後あちこちで見かけるようになって、
もはや定番機能といってもいいほどになっているけれど、
実はわたしはこの機能に対してここ最近までずっと「?」な印象しかなかった。
ランキングに参加しているとかしていないとかは関係なさそうだし、
なにか言いたいことがあればコメント欄に書くこともできるわけだし、
なぜわざわざそんな機能を登場させる必要があったのか、
というかそもそも拍手するとしたらその対象は、
その文章自体なのか、はたまたその内容の有用性なのか、
いや、まあ、そのどちらに対して贈るものであってもいいとは思うけれど、
それにしてもわたし自身いつまで経っても拍手機能の「有用性」についてうまく掴むことができずに、
この不可解で正体不明の機能にある種気味の悪さすら覚えつつ、
常に戸惑いを感じていたことは事実だった。
というわけで、他人のブログでは一貫して見て見ぬふりを決め込み、
それに触ったりすることはもちろん触ろうと思ったこともなかったし、
万が一自分のブログにそんな機能がつけられるような日が来たとしても、
自分がそれを採用することはまずないと思っていた。
ところがこの思わぬ奇襲。
久々に来た自分のブログ(死)に拍手機能が付いているのを見たときは
ただもう目が点状態でたじろぎながら、
えっとぉ聞いてないんですけどぉこれは一体・・・
とか思いながら設定を探してみるもそのときは時間がなかったせいで詳しく調べられず、
設置選択可・不可すら確認できず。
その頃は更新を再々開したころくらいだったので、気持ちも不安定だったため、
その後は「面倒くさい」ゆえに「放置」というパターン。
しかし・・・ある日、気がついた。
わたしの記事がなんと「拍手」されているではないか・・・。
だっ誰が、なっなにゆえ・・・?
わたしは上でも書いたように、
これまで拍手機能は見えていないかのようにことごとくスルーしてきたので、
誰かがわたしの記事に拍手をしてくれるなどと考えたこともなくて、
実際目障りなのでできるだけ早いうちに取り外してしまおうと考えていた。
だからそれは思いも寄らぬ展開だった。
「拍手」を見てわたしが思ったこと。
「感謝」だった。
やっとの思いで腰を上げたと思ったらまだ甘ったるいことを書いている、
ヘタってヘナってボロボロになってる見るも無惨なわたしに、
しっかりしろ! 意識を取り戻せ! ガンバレ! 立ち上がれ!
と叱咤激励してくれているように感じた。
冗談でも大げさでもなく。
こんなことで、ああ、こんな自分を見てくれている人がいるんだ、
この世にこんなダメダメなわたしがいることを知ってくれてる人がいるんだ。
それを受け入れてくれてるんだ。(それは違うと思うが・・・)
ダメなわたしを応援してくれる人がこの世にいるんだ、と。
本当に驚いて、胸が熱くなった。
そしてこころの底から感謝した。
勘違いもいいとこだとしても「この拍手に応えたい」と、
またブログを書きたいと思った。
書くために片づけたいと思った。
そうやってわたしはようやく今、拍手の意義に気づくことができた。
いろいろとその使い道はあるのだと思うけれど、
たとえばひとつはこんな感じ。
誰かが誰かのブログで記事を読む。
メッセージまで書くのはなんだけど、
だけどなんか、なんでもいいから印を残したいな、みたいな、
ときに情報ありがとう、ということもあれば、
ガンバレよ、とか、よくやった、みたいなこともあるだろう。
そういう使い方があったんだ。
それ以外にも、
拍手がこんなに人の気持ちを動かすことができると知ったことは驚きだった。
以来他のブログの拍手機能にも、それを使うことにも、抵抗がなくなった。
それは、「まるで不可解なものでしかなかった機能の正体を
自分の身を以て知ることができた」からだと思う。
ずっと前からこの記事を書きたくて、
今頃になってしまいましたが、
本当にこころから感謝しています。
ありがとうございます。
どうしてもその一言を言いたくて書きました。
もちろん読んでいただいているだけでも、
いやなにかの間違いで訪れていただいただけでも、
これまで通り十二分にありがたいと感謝しております☆

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