今年もお盆の季節がやってきた。
私は、会社が先週一足早い夏休みだったので、今週は仕事。
日本では、お盆の風習が昔からあったはずだが、ヒロシマ、ナガサキ、終戦と、1945年のお盆は、最も供養するべき霊が多いのだろうと思う。
そして、22年前の1985年8月12日、あの夏も突然の望まない死が日本を襲った。
日航ジャンボ機墜落22年、御巣鷹で250人が追悼慰霊式
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070813i102.htm
Wikipedia日本航空123便墜落事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
当時私は小学生。
小学校同級生には知っている人も多いと思うが、実家の幼稚園、小学校と同級生の女の子のお父さんがJAL123便のチーフパーサーとして、JA8119に乗っていた。
波多野純さん(39)
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-jomu.htm
乗客側の遺族が被害者として単純に悲しんで怒りをJALにぶつける中、きっとJAL職員の遺族は本当は被害者なのに、相当ひどい扱いを受けたのだろう。
小さくて明るかった彼女も、あの日を境に結構長い間かなり暗くなった気がする。
小学生時代に乗り越えるには、あまりにも過酷な死。
お兄さんも含め、以前はそこそこ親しかった部分もある私は、クラスは違ってしまっていたとはいえ、落ち込んでる彼女に、ほとぼりの冷めかけたころ、一度だけ励まそうと話しかけたことがある。
でも、やんやくれなくせに不器用な私は、なんかうまく話せず、返って遠い距離感を感じてしまった記憶がある。
123便フライトFlash
http://mito.cool.ne.jp/detestation/123.html
には、チーフパーサーの献身的に乗客に緊急事態での対応をアナウンスする肉声が所々入っている。
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm
のようなサイトをはじめ、陰謀説的なものも含め、今でこそ、こうやってweb上に関連サイトが沢山あるが、当時は御巣鷹遺族会にも、JAL職員の遺族は最初は入れなかったらしい。
4人の生存者のうち、落合さんは非番のスチュワーデス。
一瞬映された生存を喜ぶ家族の姿に非難が集中した。
事故調と食い違う部分のある落合証言も当時話題になった。
当時中学生だった川上さんもマスコミの好奇の目に晒された。
異例の速さで出た事故調の結論はしりもち事故のボーイングの修理ミスによる圧力隔壁の疲労破壊。
当時は当事者に知り合いがいたということで結構関心を持っていたのだが、長い年月と共に一時期は忘れかけていた。2年前、20周年を前に特番なども組まれ、自分が愛知で航空機エンジニアとして仕事をしていたことで、少し調べなおしてみた。
この事故が航空機メーカ側のミスが原因ならば、自分がしている仕事の重大さを改めて痛感する。
御巣鷹山の前に起きた、全日空機雫石衝突事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E6%97%A5%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E9%9B%AB%E7%9F%B3%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85
のような場合でも、現代ならば、一方的にパイロットの単純なヒューマンエラーの問題にするのではなく、管制・制御システムとして避けられるだけの技術はエンジニアが作っていかなければならない。
先日仕事で参加した、JAXA航技研の第4回国産旅客機クリーンエンジン研究発表会でも、知り合いのライターの人が、御巣鷹山を例に出して、コックピットの安全システムについて質問していた。
旅客機による死亡事故は、道路交通事故と比べると、発生の割合は非常に低い。
しかし、安定飛行中の事故は、研究と対策が進んでいる、離陸後3分間と着陸後8分間の「Critical 11 Minutes」と比べ、発生件数は少なくても、原因が予測できず防ぐのが難しいし、飛行自体を狂わすような故障は確実に死に至る墜落になってしまうと言っても過言ではない。
また最近では、割合的に、滑走路上での事故も増えている。
チャレンジャーやコロンビアのような誰もが知っているスペースシャトルの事故は勿論、過去にはNASDA職員も1名亡くなっているし、先日のモハベでの民間宇宙旅行を目指すスケールドコンポジット社の試験中の事故も3名のエンジニアが亡くなった。
有人ロケット研究会での活動も、宇宙旅行としては、安全に乗客を運べるようにならなければ商品価値はない。
空の絶対安全が叫ばれて久しいが、多少のリスクを負ってでもチャレンジするところがエンジニアの醍醐味とはいえ、人にお金を払って乗ってもらうからには、航空宇宙に携わるエンジニア、特に有人機を扱う人間は、この事故とその悲しみをいつまでも忘れないでいたい。
昨日、四国帰還報告のついでに、母に話を振ってみた。
お兄さんも含め、少しだけ数年前に聞いた近況を知っていたようだが、詳細は知らない。
何年たっても、昨日8月12日はやはりつらい日だっただろう。
でもきっと、事件がフライトレコーダの流失など明らかになるにつれて、緊急事態でも毅然とした行動を取ったお父さんに、以前にも増して誇りを持つようになったと思いたい。

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