Twitter:@arisamag2

2015/1/24

アメトイ屋自体が無くなってきた感もあり  おもちゃ
 前にちょろっと書いたように退院後、医者からウォーキングを勧められたこともあって休日でもなるべく出歩くようにしているのと、最近仕事場が変わったことで立ち寄りやすくなったので、週末には日本橋界隈をよく物色するようになりました。ここ数年は半年に一回ぐらいしか行かなかったんですよね。

 で、アメトイ屋なんか覗くわけですが。

 ……しかしなんですなあ、年寄り臭い話になりますが、わしらの若い頃はアメトイ屋と言えば「アメリカでは5歳児が遊ぶオモチャを愚かな日本猿共がオシャレだと言ってありがたがるお店」だったものじゃが、今では向こうでもこっちでもすっかりオタク向け商売が確立され、お店の品揃えもそういう方向になり、棚を見れば「見知った作品のそこそこ出来の良い商品」ばかりで「どこかのサタデーモーニングで放送しているのであろう得体の知れないシリーズの得体の知れない商品」てのは見かけなくなりましたなあ。

 そういうのを見つけて「これはどんな番組なのか」と考えるのも楽しかったものなんだが。

 かつてのフィギュアブームの立役者のスポーンは、少なくとも表向きは対象年齢5歳ぐらいの子供向け商品として売られていたのですが、今やアメリカでも日本と同様に対象年齢15歳とか17歳とか当たり前になってきた。(イマイチ業界内での基準が決まってないようで、ものすごく微妙なバラツキが見られるが)
 バットマンなんかも昔なら「不思議な色して不思議な装備のバットマン」がずらりと並んだものだが、今では「歴代のコミック(或いは映像作品やゲームソフト等)に登場したバーション」で棚が埋まる。放送終わってもアニメイテッドシリーズ版やザ・バットマン版の商品が売られてるのはちょっとありがたいが(笑)。

 あと、1980年代前半のヒーマンやGIジョーの大ヒット以来、長年にわたってアメリカのアクションフィギュアの主流だった「善悪二大勢力の対立構造を軸に商品展開するスタイル」もすっかり廃れた感がありますね。
 今でも日本の玩具よりは敵役が商品化される機会は多いけれど、あくまで「原作に出てくる人気キャラを順次商品化してます」ということであって対立構造って感じじゃなくなった。

 例えばX-MENだったらトイビズがやってた時代は「ミュータントヒーローチーム対悪のミュータント軍団」って感じだったけれど、今は「勢力」が見えなくなってしまった。

 パワーレンジャーなんてもはや商品全体に占める悪役の比率はトッキュウジャーと大差ないような。

 パワーレンジャーと言えば、ダイノチャージのビークル玩具(キョウリュウジャーで言うところのディノチェイサーにあたるバイク)のプラが「50年前の駄菓子屋売りプラモデルを素組みしたみたいな質感」で吹く。よくよく見るとメガゾードも塗装がビークルより細かい分誤魔化せてるだけでそんなんだ。強く押すとペコペコ音鳴らして凹みそう(笑)。駄菓子プラモを例に出すより100円ショップのオモチャに例えたほうがわかりやすかっただろうか。アレに並行輸入価格は手を出しにくい。フィギュアはそんなでもないんだけどな。

 日米共に玩具の生産コスト問題はまだまだ続くみたいですね。クオリティを維持しようと価格がどんどん上がるのと価格を維持しようとどんどん小さくチープになるのとではどっちがいいのかしらね。
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2015/1/23

告白一行  アニメ
 今頃になって「メイジンの機体だからアメイジング」というくだらないダジャ……事実に気付いたことは一族の恥なので墓場まで持っていきたい。(と、世界に発信)
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2015/1/22

あらそいはいつもむなしい(傍から眺めてる分には楽しい)  雑記作文
 どうやら初代ガンダムがアメリカで受けなかったという事実は大和民族のプライドを大きく傷付けたらしい。

 数年前にもあった「何故ガンダムは欧米で受けないのか議論」がまたネット上で吹き上がり例によって「それだとロボテックやボルトロンのヒットはどうなる?」って反論が紛糾していたようですが。

 私個人の見解としては前にも書いたけどガンダムがアカンかったのは海外展開が遅すぎたのと、日本でのガンダムのヒットもマジンガー以来のロボットアニメブームも一段落し視聴者も食傷気味だったところに出てきたから受けたのであって、そういう積み重ねの無い場にいきなりガンダムぶち込んでも面白さは伝わらないんじゃないか……と言う感じ。

 逆にロボテックやボルトロンが良かったのは……あれらってロボット物というよりスペースオペラとして受けたんじゃなかろうか。アメリカ人スぺオペ大好きだし。ガンダムは大気圏内外をうろうろしている感じでスぺオペとして考えるとスケール小さいしね。

 余談ですがアメリカで初めてブームとなった子供向けテレビ番組は、いかにもテレビ黎明期っぽい名前の隊長率いる宇宙パトロール隊が活躍する実写ドラマ『キャプテン・ヴィデオ』だったそうだ。いきなりスぺオペ。
 このことはアメリカにいかにスぺオペが根付いているのかとパワーレンジャーのヒット要因と言われる「そもそもアメリカに子供向け実写ドラマが無かった」説は必ずしもそういうことでもない(かつてはあったが淘汰された)という事実がわかる話です。
(日本でもテレビ開局時代の子供向けドラマは宇宙物が多かったそうですが)

 必ずしもそうではない……そう、なにごとにも「例外」はある。

 最近ちょっと思ってるのが、この手の「あの国はああいう文化だから日本のアレは受け入れられなかった(逆に受けた)」的な説って、それ自体は特におかしなことのないもっともらしい「推論の一つ」であることが多いけれども、発言している人や意見を聞いている人の頭から「なにごとにも例外はある」という認識がすっぽ抜けると、なんだかめんどくさい話になっていくなあということ。

 アニメ特撮界隈で良く出てくるこの手の説と言えば「アメリカ人の虫嫌い」がある。

 スーパー戦隊に昆虫戦隊が出てこないのはパワレン化に際してアメリカ人が昆虫に対してヒーロー性を抱かないことに気を遣っているからだとかなんとか。(実際にはメインモチーフにはなったことはないが追加戦士には昆虫ネタが何人かいる)
 そして「スパイダーマンはどうだ!アントマンはどうだ!バグズライフはどうだ!怪力アントはどうなんだ!どうでも良いけど蟻ネタ多いな!」と反論が噴き上がるまでがテンプレ。

 ……アメリカ人虫嫌い説は、アメコミやアメリカのキャラクタービジネスに関する書籍をひも解くと良く出てくる、特にデタラメを言っている訳ではない話なんですよね。日本の様に夏休みに昆虫採集をするような文化が無かったので昆虫に親しみが無いということ。
 でもこの説が紹介される時って、大抵の場合「例外」についての解説や考察をする前の話の枕なんですわ。

 スパイダーマンが危うくお蔵入りになりかけた話だとか、海外版ビーファイターことビートルボーグがコメディになった理由の考察だとか、マスクドライダーが人気的な意味でちょっぴり残念な結果になった件の考察であるとか。イキナリ例外込みの説なんです。

 それはともかく、では昆虫採集文化のあった日本では昆虫は常に英雄だったかというとそうでもなく、仮面ライダーがバッタのヒーローと聞いたテレビ局の上層部は一度は難色を示したそうです。「バッタって指で潰せるあの虫ですか?」と。
 それを平山亨プロデューサーが「バッタは確かに弱い昆虫ですが、バッタを人間と同じ大きさに拡大したらどうでしょう? あのジャンプ力は人間の大きさならビルをも飛び越えます!その脚力から繰り出すキックは岩をも砕くでしょう!」と実にもっともらしい言い訳……もとい説明をして偉い人達を納得させたのだそうです。

 実に微笑ましい良い話ですね。

 良い話だから今頭に浮かんだ「バッタを人間大にしても自重で潰れるだけなんじゃ」という考えはすぐ忘れろ。


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2015/1/19

あれってホントに前作没デザインの流用だとか  アニメ
『Go!プリンセスプリキュア』は番宣で変身前の方のキャラクターを推して来るあたりに東映なりのアイカツプリパラに対する危機感が伺える。

 ところで、世間では笑ってすましていることみたいだが、前作にキュアプリンセスってのがいたのに本作で「プリンセス」がメインコンセプトになってるのが個人的に割と本気で落ちつかないのです。

 昔からこういうの気になるんですよね。どうにも収まりが悪いと言うか。

 ほら、第三弾で足首だった新幹線が主役ロボになってる第四弾とかさ。しかも第五弾の主役は四弾ではモブ同然だったパトカーじゃん。てか第三弾と第七弾もパトカーじゃん。一年おきにパトカーじゃん。戦隊の「また忍者か」とかと頻度が桁違いじゃん。

 特撮でもさ、前三作は完結して新たなチャレンジですといいつつデザインライン同じな上にロボに変形する移動要塞も空陸合体メカも空飛ぶバイクも持ってる巨獣を特捜するぐらいしか差別化出来てないあいつとか、別作品な上に一人強化服な癖に前作のロボと同じデザインラインでしかも良く見たらお前等頭がレゾンとバイカンとスパイラスじゃねぇかとか、変形ロボなのに前二作の強化服と同じカブトムシってどうよとか、それでいて次は犬かよ統一感ねぇなとか、てか後半のテコ入れキャラも犬かよ犬二匹かよとか、トランプモチーフってハートのピンクが前と被ってるじゃねぇかとか、ライオンの次は虎が主役か……って前作にも虎いたよライバルでとかさ。

 そういうのがすごく気になるお年頃なんです。(←何十年お年頃なのか)
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2015/1/18

わるものメカ(犬とかペリカンとか)などバラバラだ  アニメ
 今期の新アニメ『夜ノヤッターマン』について。

 タイムボカンシリーズで善悪逆転と言うと、ラジオ番組にゲスト出演した山本正之氏が『怪盗きらめきマン』の「ヒーローが泥棒で三悪が警察」という設定について本気で嫌がっていたのが印象深い。「犯罪者を美化する歌詞を書くことに苦悩した」とかなんとか。
 そのラジオ聴きながら、昔とある評論家が『逆転イッパツマン』の歌詞について「“ここから正義の花道”という表現や歌い方の軽さはどうだ。山本正之は正義など信じていないのだ」と絶賛していたのを思い出して苦笑したものだ。

 それはともあれ、本作は『キャシャーンSins』『ガッチャマンクラウズ』に続くタツノコ新解釈路線の系譜ということになりますが、ネット見てると皆さん、これらの作品をジャンルとしてどう呼称して良いのか考えあぐねている様子。
 リメイクもスピンオフも続編もいまいちしっくりこないよね。
 まあ今回のヤッターマンについては……アメコミで言う「エルスワールド」が一番ニュアンスが近いのかな。「ヒーローがゾンビになったら」とか「バットマンが吸血鬼だったら」みたいな感じの一連のアレですね。元祖ヤッターマンの続編として考えるには、あのガンちゃん達がドロンボーに勝利したからって王国作らないだろうし作れないだろうから当てはまらない。「王国を作ったということにして……」というエルスが入ってくるわけだ。

 そんな本作について「わざわざヤッターマンでやらなくてもオリジナルで良いのでは?」との意見もある。その辺は、例えばGガンダムや龍騎は「ガンダム(仮面ライダー)同士が戦う」からセンセーショナルだったのと同じで、まったく新規のヒーローが堕落して悪になったところでそれは視聴者にとっては「最初から悪役」で何の面白味もない。
 だからヤッターマン(或いは何らかの既存のヒーローキャラ)でやることには意義があるのだろうよ。

 ただ、タイムボカンシリーズって長い歴史の中で「登場人物の大半が根は良い人」って感じになっていった(タイムボカン〜ヤッターマン初期ぐらいまではそうでもなくて三悪もそれなりに非道でした)ので、善悪逆転と言われてもピンとこないところがある。世間の下馬評に「最終的には本物のヤッター子孫と新ドロンボーが協力してキングダムに巣食う真のラスボスを倒すんじゃないか」と言う予想があるけれど、旧シリーズから相応しいラスボスを探そうとするとコン・コルドー会長ぐらいしか浮かばない(笑)。

 第一話の印象としては、あらすじ聞いた時点ではもっとジメっとした暗い話を想像していたのですが、実際の内容はカラっとした雰囲気。
 多分、母親死んだ件もあまり引きずらないんじゃないかな。ヤッターマンが直接母親を殺した形にしなかったところにユルさを感じるのよ。
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