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2014/9/14

赤影みたいなのまたやんねーかなーとは思う  雑記作文
 新潮新書から出版された『なぜ時代劇は滅びるのか』(著:春日太一)を読書中。

 本書は、テレビ時代劇がほぼ絶滅した状況を憂いつつ、その原因を分析し「戦犯」を糾弾する、ちょっと刺激的な研究本。

 まあ、正直言うと私は別に未来を憂うほど時代劇に思い入れがあるわけではないのだが、「恐らく、この本が言及する時代劇衰退の理由は、時代劇以外のあらゆるジャンルの衰退に通じるものになるだろうな。例えば時代劇を西部劇や怪獣映画やロボットアニメに置き換えても通用する話になるかもしれない」と、予感しつつ手にとりました。

 実際、第一章、第二章にて語られる時代劇衰退の背景はよく取材、分析されていると感心するとともに、あらゆるジャンルの衰退に通じる普遍的な問題を抱えていると受け取れた。

 嘗ては子供からティーンエイジャーや大人に至るまで幅広い層に受け入れられていた時代劇が「高齢者向けの娯楽」にイメージが固定化されていくのは正に西部劇の流行から衰退の流れと重なると言えるし、第二次怪獣ブーム末期に「特撮ヒーロー=未就学児童向け」の固定概念が出来てしまった流れにも似ている。(まあ、特撮ヒーローは元々時代劇や西部劇程にはターゲット広くはなかったんだが)
 また「物語のパターン化」の話は、ロボットアニメが『マジンガーZ』の頃は強敵を創意工夫で倒していく物語だったのに、やがて「話の最後にお約束で登場するやられメカを無敵の必殺剣で叩き切る」というルーチンワーク化された物語に変質していく流れに通じるだろう。

 その一方で、時代劇特有の問題である京都の撮影所の話はなかなか興味深く読ませていただいた。

 だが、第三章以降、時代劇衰退の要因となった様々な諸問題……役者であり、監督であり、プロデューサーであり、大河の現状であり……を読んでいくと(現在進行形で読書中)、こちらについては……うーん、うーん……なんというのか「その通りだけど違うと思います!」と言いたい感じもあり。

 あー、うん、いや、確かにその通りと納得出来る話なのよ、曰く「芝居の出来る役者の不在」「時代劇への意識が低い俳優」「名脇役の不在」「教養なき監督」「饒舌な脚本」「悪の不在」……ただ、一つ一つは頷けるものの、それらの批判を統合して浮かび上がってくるのは「筆者の考える理想の時代劇」であって、第二章では否定していた筈だったある種の「お約束」や「定番化」に繋がってしまうのではないかという居心地の悪さを感じるのだ。

 オールドファンからの理想の押し付けは、そうでない視聴者には視聴に対するハードルの高さを感じさせたり、「オタク向け」という印象を与えてしまう可能性がある。それでは結局時代劇は衰退してしまうのではないか。

 いいじゃん、登場人物イケメンばかりだって、芝居掛かった演技じゃなくたって、悪役が正当性を主張したって、監督が所謂時代劇の演出技法を踏襲しなくたって、プロデューサーが人気優先の作り方をしたって……それが本当に現代の視聴者に受け入れられる時代劇に昇華出来るものなら。(←勿論、出来てないことが問題だということは承知している)

 確かに、現状の人材面の問題は「現代の幅広い層に受け入れられる時代劇」を作るには程遠い状況かもしれない。だがファンの立場から「そこはこうあるべきであってこうしないからダメなんだ」と言い切ってしまうのも危険な気がする。役者人気優先でキャスティングするプロデューサーも安直ならば、トレンドを顧みることなく「こうあるべき理想の時代劇を作ろう」を押し通そうとするプロデューサーもやはり安直であり「考えることを放棄している」と言う意味では同じではないのか。

 時としてジャンルを復活させるカンフル剤となる作品は、それまでのファンが考える理想とは遠い物だ。

 今、(子供向けエンターテイメントとしての)ロボットアニメの復活を望む人々の多くは「勇者シリーズ(のようなアニメ)の復活」を主張する。だが、勇者シリーズの第一作であり、そのヒットで一時的にせよロボットアニメの本数を増加させた『勇者エクスカイザー』は、本放送当時のロボットアニメファンから「理想のロボットアニメ」として歓迎された作品では決してなかった。そういうものではなかろうか。(←多分勇者復活を望む層が求めてるのってエクスカイザーじゃなくてガオガイガーみたいな奴なんだろうけどな)



 ……いやあ、綿密な取材と分析に基づいて執筆された本に対して、付け焼刃で半可通な知識でめんどくさいことを言っちゃう私って恐れを知らぬ男だよね!(と、自画自賛なのか自虐なのかわからんことを口走って締めとこう)
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