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2013/7/1

惹かれあう gravity  アニメ
 少し出遅れましたが、こないだのレインボーライブ。第十三話。

 プリティーリズムシリーズで[1クール目終盤」というと、ファンの間では第一作オーロラドリームの第十二話『勝利の栄冠(ティアラ)は誰の手に!?』があまりにも衝撃的で、レインボーライブはそれを超えることは出来なかったものの、序盤の締めとしては見事な仕上がりだったのではないでしょうか。

 以前、ディアマイフューチャー最終話の感想で「ネットで感想を見るとマジなプリティーリズムファンはやや深読みとも思える真剣な考察をしていて面白い」って話をしましたが、確かにこのシリーズには深読みや考察をしてみたくなる魅力はありますな。

 私も僭越ながら深読みをやってみようかと。テーマは「レインボーライブ世界におけるプリズムショーについて」。

 思うに、レインボーライブの世界で「プリズムショー」なる物が生まれた当時、それは今現在のプリズムショーよりも「面白くも胡散臭い見世物」だったのではないかと。

 イメージとしてはボクシング等の格闘技系のスポーツ。

 八百長あり、ガチの殺し合いありのおよそお行儀のよいスポーツとは言えなかったボクシングが、「健全なスポーツ」として矯正されていくに従い、美しさは得られたものの、一撃必殺の爽快感や命のやり取りをするような緊迫感が失われ、しかも八百長や裏取引といった「影の部分」は悪い意味で残ってしまった……と。

 プリズムショーも、元々は見世物として面白いものだったのが、その芸術性やスポーツ性が社会に評価されていくにつれて、厳格なルールが決められ、学校の部活や授業に採用され……と健全化していくについれて「何が起こるか分からない面白さ、爽快さ」は失われ、一方でエーデルローズの様な巨大な組織が業界を掌握するに至り、氷室会長の嘆く「閉塞的な世界」に変貌していったのではないか。そう考えると、本作初期におけるプリズムジャンプが前二作の様にステージの壁を飛び越えるような派手な演出ではなかったことも腑に落ちる。あれは「リアルな世界観」を描いていたのではなく「ルールに縛られたプリズムショーの限界」を描いていたのではないのか。


 その閉塞感に対して、プレイヤーとして抗っているのがストリート系のカヅキ先輩であり、上に立つ者として抗っているのが氷室会長。

 そして抗うとかそういう野心もなく、ただ「お客様を楽しませる」想いだけで「エンターテインメントとしてのプリズムショー」を取り戻すのが、主人公のなるではないか。

 だからこそ、なるは「お客様への奉仕者」である「ショップの店長」でなくてはならなかったんだよ!


 ……よし、上手くオチがついた。

(注:この考察は、あまり本気で考察してません。本気で共感されたり反論されたりすると筆者の精神衛生上よくないので自重しましょう)
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