1920/10/20
「今夜」
今夜は心が平かである。机の前にあぐらをかきながら、湯に溶(と)かしたブロチンを啜(すす)つてゐれば、泰平(たいへい)の民の心もちがする。かう云ふ時は小説なぞ書いてゐるのが、あさましいやうにも考へられる。そんな物を書くよりは、発句(ほつく)の稽古(けいこ)でもしてゐる方が、余程(よほど)養生になるではないか。発句より手習ひでもしてゐれば、もつと事が足りるかも知れぬ。いや、それより今かうして坐つてゐる心もちがその儘難有(ありがた)いのを知らぬかなぞとも思ふ。おれは道書(だうしよ)も仏書(ぶつしよ)も読んだ事はない。が、どうもおれの心の底には、虚無の遺伝が潜んでゐるやうだ。西洋人がいくらもがいて見ても、結局はカトリツクの信仰に舞ひ戻るやうに、おれなぞはだんだん年をとると、隠棲(いんせい)か何かがしたくなるかも知れない。が、まだ今のやうに女に惚(ほ)れたり、金が欲しかつたりしてゐる内は、到底(たうてい)思ひ切つた真似は出来さうもないな。尤(もつと)も仙人(せんにん)と云ふ中には、祝鶏翁(しゆくけいをう)のやうな蓄産家や郭璞(くわくぼく)のやうな漁色家(ぎよしよくか)がある。ああ云ふ仙人にはすぐになれさうだ。しかしどうせなる位なら、俗な仙人にはなりたくない。横文字の読める若隠居なぞは、猶更(なほさら)おれは真平(まつぴら)御免(ごめん)だ。そんなものよりは小説家の方が、まだしも道に近いやうな気がする。「尋仙未向碧山行(せんをたづねていまだむかはずへきざんのかう)住在人間足道情(すんでじんかんにあるもだうじやうたる)」かな。何(なん)だか今夜は半可通(はんかつう)な独り語(ごと)ばかり書いてしまつた。(十月二十日)
(大正九年)
投稿者 芥川龍之介
「雑筆」芥川 竜之介 より
コメント 投稿者 ten
学生時代、芥川さんの「歯車」などの晩年の作品が好きで、それらの作品の持つ透明感を表したい私は、ガラス板のフィルターを通して作者が世の中を見ていると言ったら、先生が、ひとこと「なるほど」と言いました。なにがなるほどなのかたずねませんでした。しかし87年前の今日のブログを読んだら、29歳の芥川さんは、二年前に結婚もして落ち着き、作品も以前よりも世間に認められきたからでしょうか、「できそうにもないな」などと砕けた調子の文章から心の余裕が感じられますね。このあと芥川さんには、いろいろなことが降りかかってきます。親族の不幸など、だんだんと死を見つめるようになってきます。それまでのわずかな静けさの時期だったのかもしれません。
それにしても、このころ芥川さんは、結構面白いことを考えていたんですねえ。「俗な仙人になりたくない」そりゃそうだ。どうせ仙人になるのなら、百人より千人が認める仙人がいい・・・
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