今日は、クリスマスイブ。みんなでわいわいと騒ぐのもいいけれど、二人でしんみりと過ごすのもいい。昨夜、めかしこんで、ちょっと高級なレストランで、一日早いイヴを楽しんできた私だが。
本日紹介する話は、そんな私の昨夜を根底から否定してしまう。目のまえにある楽しみだけがすべてではないのだと。
話の場所は、高級レストランではない、そしてこの二人は・・
十二月の初め、久しぶりに東京へ戻ってきた笠井は、女友達の娘さんに偶然会う。娘さんのお母さんである女友達に会いに行くことになるのだが・・
「メリイクリスマス」太宰 治
「お皿を、三人、べつべつにしてくれ。」
「へえ。もうひとかたは? あとで?」
「三人いるじゃないか。」私は笑わずに言った。
「へ?」
「このひとと、僕とのあいだに、もうひとり、心配そうな顔をしたべっぴんさんが、いるじゃねえか。」こんどは私も少し笑って言った。
「コップで三つ。」と私は言った。
小串の皿が三枚、私たちの前に並べられた。私たちは、まんなかの皿はそのままにして、両端の皿にそれぞれ箸(はし)をつけた。やがてなみなみと酒が充たされたコップも三つ、並べられた。
私は端のコップをとって、ぐいと飲み、
「すけてやろうね。」
と、シズエ子ちゃんにだけ聞えるくらいの小さい声で言って、母のコップをとって、ぐいと飲み、ふところから先刻買った南京豆の袋を三つ取り出し、
「今夜は、僕はこれから少し飲むからね、豆でもかじりながら附き合ってくれ。」と、やはり小声で言った。
紳士は、ふいと私の視線をたどって、そうして、私と同様にしばらく屋台の外の人の流れを眺(なが)め、だしぬけに大声で、
「ハロー、メリイ、クリスマアス。」
と叫んだ。アメリカの兵士が歩いているのだ。
何というわけもなく、私は紳士のその諧(かい)ぎゃくにだけは噴(ふ)き出した。
呼びかけられた兵士は、とんでもないというような顔をして首を振り、大股(おおまた)で歩み去る。
「この、うなぎも食べちゃおうか。」
私はまんなかに取り残されてあるうなぎの皿に箸をつける。
「ええ。」
「半分ずつ。」
東京は相変らず。以前と少しも変らない。
これは、悲しい話なのである。しかし悲しいとはどこにも書いていない。
誰も飲むはずのない酒を“やがてなみなみと酒が充たされたコップも三つ、並べられた。”、誰も箸をつけるはずのないうなぎを、「この、うなぎも食べちゃおうか。」
そして母親を殺したアメリカ兵に「ハロー、メリイ、クリスマアス」と言葉を投げかける。
太宰は空白を描いているのだ。空白を描くために「もの」をもってくる。空白を描くことによって、腹のそこからこみ上げてくる悲しみを静かに読み手に伝える。
これが太宰の上手さというほかはない。

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