窪川稲子に宛てた堀辰雄の手紙:「
美しかれ、悲しかれ」。
十月六日付け。
「美しかれ、悲しかれ」――ああ、本当にこの言葉くらい僕に自分の若い時分のことを、その苦痛も歓びも、一しょに思い出させるものはありません。フランシス・ジャムのさまざまな少女を唄った詩集を読んでいたきりぐらいの年少の僕がいきなりみんなの仲間入りをさせられ、みんなの生き抜こうとしていたはげしい青春に面接させられ、どれほど少年らしい戦慄と好奇心とをもってその新しい生を前にして足ぶみしていたことでしたろう。それはあなた達にさえお分りにならなかったでしょう。そうしてあなた達がそういう僕にどんなに多くのものを与えて下すったか、それも殆どお気づきにはならなかったに違いない。本当に、それに比べれば私があなた達に与えたものなんぞ物の数にもはいらぬことです。
堀辰雄は決して期待を裏切らない。この手紙もまた、歯の浮くような思いを感じずに読むことはできない。
そんな風に思うのは、ひとえに私が「がさつ」だからだと思うが、そんな私でも、次の文章のような気持ちには思い当たるところもある。
いわば、そうやって、みんながはげしく生活し、いきいきとした仕事をしだしている傍らで、僕は自分の番がくるのを胸をしめつけられるような気もちで待っていたみたいでした、が漸(やっ)と自分の番が来たかと思ったときには誰ももう居りませんでした。僕は一人きりで愛したり、苦しんだり、それから仕事をしたりしなければならなかった……

0