鉄棒が雪で埋まり、ただの鉄の棒となり、ブランコはというと、二等辺三角形の頂点から垂線が雪の中に落ちている。鉄棒とブランコしかない小さな公園なのだけれど、子供たちの大切な遊び場。しかし最近は、寒雀の一団で賑わっている。愛犬はどうもその寒雀の一団が気になるらしい。公園の入り口でてこでも動こうとしない。
数センチの雪で電車が止まっていたころの東京を思い出す。学生時代、雪国出身の私はそれに驚いた。雪国の列車の逞しさが疎ましく、「止まる」という繊細さが、エレガントだった。
空っ風の中公園遊具で遊ぶ子供たちを見たとき、彼らは、スニーカーをはいていた。長靴で過ごす自分たちが少し惨めに思えた。
ビル風に巻かれながら空を見上げればコンパクトに絞まった高い青い空。限りなく広がる低い灰色の空ばかりみていた者は、まぶしくてさっと下を向いてしまった。
室生犀星は、彼の故郷金沢で「ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの」と詩にした。私はそれをよく口ずさんだ。萩原朔太郎は、彼の故郷前橋でこう書いた。私はこの詩も愛した。
青猫 萩原朔太郎
この美しい都會を愛するのはよいことだ
この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ
すべてのやさしい娘等をもとめるために
すべての高貴な生活をもとめるために
この都にきて賑やかな街路を通るはよいことだ
街路にそうて立つ櫻の竝木
そこにも無數の雀がさへづつてゐるではないか。
ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは
ただ一匹の青い猫のかげだ
かなしい人類の歴史を語る猫のかげだ
われらの求めてやまざる幸福の青い影だ。
いかならん影をもとめて
みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思ひしに
そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる
このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。
今になってみると朔太郎のこの詩は、彼の思いの通り、都会へのノスタルジアと理解できる。18歳の私は、都会へのノスタルジアと考えることなどできるはずもなく、故郷と都会の狭間を行き来してどうにかしようと思っていた。どうにか?その内容もよくわかっていなかった。
・・・と灰色の空の下、昔を思い出していたら、二人の男の子が駆けてきた。寒雀たちがさっと飛び立って行った。それを見ながら彼らは、彼らの首ほどまである手付かずの雪を眺めた。漏れ聞こえてきた会話は、ブランコまで行くかどうか。それも面白そうだという。誰も踏みしめていない雪に自分たちの足跡をつける楽しみ。ましてこれだけの広さと高さはやりがいがあるぞと私も心で賛成している。よし、行け!と思ったが、彼らは「やっぱゲームしようぜ」と行ってしまった。その言葉に私はがっかりしたが、足元をみると彼らは青い長靴だった。私は、なんだか楽しくなって、軽やかにリードを引っ張って、そうだ!と長靴で道路わきの新しい雪に足跡を残してみた。

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