私は、我がままな二つの念願を抱いている。生きている間は出来るだけ感情を偽らずに生きたい。これが第一の念願である。言いかえれば、好きなものを好きといい、嫌いなものを嫌いといいたい。やりたい事をやって、したくない事をしないようになりたいのである。そして第二の念願は、死ぬる時は端的に死にたい。俗にいう『コロリ往生』を遂げることである。
・・と言ったのは、山頭火。
「私を語る」
人間、自分の思うような死に方ができるとは思えないのだが。
さて本日公開は、
「一草庵日記」
十月八日 ――晴。
早朝護国神社参拝、十日、十一日はその祭礼である、――暁の宮は殊にすが/\しく神々しい、なんとなく感謝、慎しみの心が湧く、感謝、感謝!感謝は誠であり信である、誠であり、信であるが故に力強い、力強いが故に忍苦の精進が出来るのであり、尽きせぬ喜びが生れるのである。
皇室――国への感謝、国に尽くした人、尽くしつゝある人、尽くすであらう因縁を持つて生れ出る人への感謝、母への感謝、我子への感謝、知友への感謝、宇宙霊―仏―への感謝。――
一洵老が師匠の空覚聖尼からしみ/″\教へてもらつたといふ懺悔、感謝、精進の生活道は平凡ではあるがそれは慥かに人の本道である――と思ふ、この三道は所詮一つだ、懺悔があれば必ずそこに感謝があり、精進があれば必ずそこに感謝があるべき筈である、感謝は懺悔と精神との娘である、私はこの娘を大切に心の中に育くんでゆかなければならぬ。
芸術は誠であり信である、誠であり信であるものゝ最高峰である感謝の心から生れた芸術であり句でなければ本当に人を動かすことは出来ないであろう、澄太や一洵にゆつたりとした落ちつきと、うつとりとした、うるほひが見えてゐて何かなしに人を動かす力があるのはこの心があるからだと思ふ、感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはいつでもお祭りである、拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つてゐてくれるであろう、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから。――
夜、一洵居へ行く、しんみりと話してかへつた、更けて書かうとするに今日は殊に手がふるへる。
山頭火の親友だった大山澄太氏の「俳人山頭火の生涯(弥生選書)」によると、「殊に手がふるえた」山頭火は、二日後、庵で倒れているのを懇意にしていた寺の奥さんに発見される。これまでに何度もあったこと、酔いつぶれているのだと誰もが思ったので、彼が寝ている隣の部屋で句会を開いていたという。しかし山頭火のことが気にかかってねむられなかったという寺の奥さんによって十一日の朝、息が止まっているのを発見される。
どうやら彼の思う通りの死に方。なんと幸せなことか。彼の脳裏に最後に写ったはどんな風景だろう。故郷山口の風景か、自ら命を絶った母の姿か。それとも分け入つても分け入つても青い山だろうか。
山頭火よ、酒をのまなければいいのではないか、仕事を見つけ、賃金を得ればいいのではないのか、単に甘えていきているだけではないのか。
「十月七日 曇―晴。人には甘えないつもりだけれど、いづれまたすみませんが――とお願ひすることだらう、あゝあゝ。」
人間は 1+1=2で生きてはいないところに妙がある。人の弱さが紡いだ愚という強靭なこころ。
「草木塔」
所詮は自分を知ることである。私は私の愚を守らう。
(昭和十五年二月、御幸山麓一草庵にて 山頭火)
(昭和十五年四月刊)
愚を守りきった59年の人生。今日は山頭火の命日。

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