今朝のこと。犬と一緒になって下ばかりみている私に、二車線道路の向こうから、「おはよう」という声がした。声のほうを振り向けば、Iさん。自転車で颯爽と12月の風を切って、今から仕事。
「はあい」と私も負けない大きな声で返す。彼女は右手を上げた。六十代半ばを過ぎたIさんの声はいつも、そしてどんなときでも明るい。
彼女のご主人は、公立学校の校長を退職してから、好きな土いじりに余念がなく、庭に花が絶えなかった。また、娘さんが赤ん坊を連れて遊びにくると、「おじいちゃん」と呼ばせない、「おおきいパパと呼ばせよう」と目じりを下げて私たちに言った。そんなふうにして面白いことを真面目な顔で話す面もあったが、自分を決して曲げない人だった。
そのお孫さんが小学校へ行くころ、ご主人は、脳卒中で左半身が不随となり、思うように動けなくなった。そういう自分を受けいれることができない。その苦しみを一心に受けたのは彼女である。
彼女の苦労は、それでは終わらなかった。ご主人は、もともと糖尿病からの脳卒中だったから、だんだん両足先に血液が回りにくくなり、切断を余儀なくされた。ご主人の足が短くなり、腿のあたりだけとなった。そのころからご主人はめっきり口数が減ったが、彼女が見えないとベッドの横をたたいた。
彼女は、在宅で、ディサービスを利用しながら、ご主人の世話をした。逃げ出したいと思ったこともあっただろう、歯軋りをして耐えねばならないこともあっただろう。それでも彼女は私たちには笑顔を向けた。
「どう、元気でやっている?」と。
体格もいい彼女だから、「太陽のような人」とはこういう人をいうのだろうと私はひそかに思っている。彼女との話はたくさんあるが、私の心に一番残っているのは・・
「主人がね、私の頭を撫ぜて、いい子、いい子ってしてくれるの」と彼女は、心から嬉しそうに私に言った。
ベッドの夫は、動くほうの手を伸ばして、ベッドの下に座る妻の頭を撫ぜる。いとしい子の頭を撫ぜるように。夫には見えた。テレビに映る。疲れきった妻の顔。自分が見たことのない妻の顔。
三年前、そのご主人を見送り、一人になった彼女は、欝病になりかけたが、外へ出ようと決心して、パートを二つ掛け持ちしている。土曜日だがきょうもその一つに行くのだろう。そんな彼女からパワーをもらった私は、彼女の後姿を見送り歩き出した。目の前で山茶花の花びら散った。
私の好きな一節・・・
「新郎」太宰治
山茶花(さざんか)の花びらは、桜貝。音たてて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことしはじめて驚いている

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