最近、多忙で、なかなか書く事ができなかった。でも気になり、二日に一回はサイトを覗いてみる。誰も更新していないな、しかしゆったりと書く時間がない。・・と思ったとき、我が家の食卓に葡萄が一房。
では、
有島武郎の『一房の葡萄』 のことを書くか、先生が膝にのせてくれた「一房の葡萄」もいいが、北條民雄の「葡萄」があったはずだと青空文庫の中を検索する。「葡萄」。かなり前に流行った口調を拝借すれば・・たかが「一房の葡萄」。されど「一房の葡萄」である。
「いのちの初夜」 北条 民雄
彼らの姿が見えなくなると、尾田はそこへトランクを置いて腰を下ろした。こんな病院へはいらなければ生を完うすることのできぬ惨(みじ)めさに、彼の気持は再び曇った。眼を上げると首を吊(つる)すに適当な枝は幾本でも眼についた。この機会にやらなければいつになってもやれないに違いない、あたりを一わたり眺めて見たが、人の気配はなかった。彼は眸(ひとみ)を鋭く光らせると、にやりと笑って、よし今だと呟いた。急に心が浮きうきして、こんな所で突然やれそうになって来たのを面白く思った。綱はバンドがあれば充分である。心臓の鼓動が高まって来るのを覚えながら、彼は立ち上がってバンドに手を掛けた。その時突然、激しい笑う声が院内から聞こえて来たので、ぎょっとして声の方を見ると、垣の内側を若い女が二人、何か楽しそうに話し合いながら葡萄棚の方へ行くのだった。見られたかな、と思ったが、始めて見る院内の女だったので、急に好奇心が出て来て、急いでトランクを提げると何喰わぬ顔で歩き出した。横目を使って覗いて見ると、二人とも同じ棒縞の筒袖を着、白い前掛が背後から見る尾田の眼にもひらひらと映った。貌形(かおかたち)の見えぬことに、ちょっと失望したが、後ろ姿はなかなか立派なもので、頭髪も黒々と厚いのが無造作に束ねられてあった。無論患者に相違あるまいが、どこ一つとして患者らしい醜悪さがないのを見ると、何故ともなく尾田はほっと安心した。なお熱心に眺めていると、彼女らはずんずん進んで行って、ときどき棚に腕を伸ばし、房々と実ったころのことでも思っているのか、葡萄を採るような手付をしては、顔を見合わせてどっと笑うのだった。やがて葡萄畑を抜けると、彼女らは青々と繁った菜園の中へはいって行ったが、急に一人がさっと駈け出した。後の一人は腰を折って笑い、駈けて行く相手を見ていたが、これもまた後を追ってばたばたと駈け出した。鬼ごっこでもするように二人は、尾田の方へ横貌(よこがお)をちらちら見せながら、小さくなって行くと、やがて煙突の下の深まった木立の中へ消えて行った。尾田はほっと息を抜いて女の消えた一点から眼を外(そ)らすと、とにかく入院しようと決心した。
女達の躍動感と尾田の決心。このみごとな対照に私はなんどもこの箇所を読み返したことがある。この箇所が「うまいな」と思う。
この作品を貫いているのは、人が「いきる」ということである。尾田は悲しいのでも可哀そうなのでもない、彼は強いのである。それをわかるのに、私はずいぶん時間がかかった。最近やっとわかったのだから。
参考
「僕は書けなくなるまで努力します」 今日は何の日

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