仕事の帰り、私の疲れた背中を、電車が引っぱっていく。
向かいの高校生は、制服の袖を捲り上げて、腕を窓の縁に置いた。その手を耳から垂れたイヤホンに当てた。もう片方の手をリュックの中へ忍ばせた。満足したのか、彼は、リズムに合わせて頭を振り、ときおり私と眼を合わせるが、彼の大きな瞳の底に私は映ってはいない。
そのうち彼は窓の外を見た。バラの花が流れ、人が背伸びをしている。そんな風景に、にきびの横顔は動かなかった。それは自分の世界だけにいるからか、周りが見えない若さ特有のものだろうか。彼の横顔は、少年ではない、かといって青年と言っていいのだろうか、などと、どきりとさせられながらも私は、外の風景をみる振りをして、彼をちらりちらりと見ていた。
そういえば、彼ぐらいの頃、私は、太宰治に夢中だった。太宰の何がよかったのだろう。と振り返ったとき、思い当たることは、一つしかない。これから自分と言う人間を完成させていく途中の、難所をどうわたりきろうかと思い悩んでいる者に、難所が難所であることすらわからない者に、「苦しい」「人間」「夢」この漢字がちりばめられた
「人間失格」 は甘美だった。
人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩(おうのう)は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
この文章は、何よりの正解を与えてもらったような気がしたものだった。この妙な日本語で書かれた文章がなによりも正しいことばだった。
・・・というようなことを思い出していると、電車は駅に止まった。制服の女の子が、彼に小さく手を振って側を通り過ぎた。そして窓の外からも彼女は手を振ると、彼も軽く答えた。
次の駅で、私は降りるのだが、彼に手を振ってみようかと思った。しかし、変な顔をされそうでやめた。
私は素直にホームへ降りた。彼は、私の目の前を無表情に流れて行った。耳のイヤホンに手をやりながら。少しずつ電車が私から離れていく。
今日は桜桃忌、奇しき縁を胸に秘めて、私はいつものように、駅前の信号を渡る。
桜桃忌というだけで、何の用意もなしにパソコンにむかった。そこで私が開いた作品は・・
六月十九日 太宰 治
なんの用意も無しに原稿用紙にむかった。こういうのを本当の随筆というのかも知れない。きょうは、六月十九日である。晴天である。私の生れた日は明治四十二年の六月十九日である。私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていた。容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、いろいろ書きものを調べてみた事があった。何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っていたのである。夕暮でした。あの、小間で生れたのでした。蚊帳(かや)の中で生れました。ひどく安産でした。すぐに生れました。鼻の大きいお子でした。色々の事を、はっきりと教えてくれるので、私も私の疑念を放棄せざるを得なかった。なんだか、がっかりした。自分の平凡な身の上が不満であった。
先日、未知の詩人から手紙をもらった。その人も明治四十二年六月十九日の生れの由である。これを縁に、一夜、呑まないか、という手紙であった。私は返事を出した。「僕は、つまらない男であるから、逢えばきっとがっかりなさるでしょう。どうも、こわいのです。明治四十二年六月十九日生れの宿命を、あなたもご存じの事と思います。どうか、あの、小心にめんじて、おゆるし下さい。」割に素直に書けたと思った。

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