三月の暖かな午後、坂道を下りて行く。ゆったりとした私の時間を切り裂くのは、少年たちの歓声。ランドセルを外した、身軽な彼らは、坂道を一気に駆け上がって行くかと思うと、急ブレーキをかける。
先に駆けて行った一人が
「ほら、ほら、土筆だ」と道端の草むらに飛び乗って叫べば、
「え?どこどこ?」と後の三人が走る。
「ほら、ここだよ」と指差した先を、後の三人が覗き込む。
「あ!ほんとうだ、ほんとうだ」と三人の声が弾む。
私もつられて、「どれどれ」と道路を渡って彼らの仲間入りをしようと思ったが、大人が踏み込んではいけないな。
斜面に地味に過ごしていたはずの土筆が、彼らの脚光を浴びた。この小さなスターを、どうするのかな?と私は足を止めて成り行きを見守った。
「摘まないでおこうな」と一人が言うと、
「そうだな。そうだな」と後の三人が答えた。
「行くぞ」と一人が叫び、歓声が坂道を上がる。
弾む足どりの私は坂道を下りる。切り裂かれた私の時間がゆっくりと閉じていく。
土筆ということで今日は、
「虹の橋」 野口 雨情
読めばちくりと痛む心をどこに持っていこう・・・
ある日、二人の仲よしは、土筆(つくし)を採りに行くことになりました。おたあちやんのお母さんは、いつものやうに、二人にお弁当をこしらへてくれました。そして云ひました。
『土筆を採りに行つたら、気をつけておいでよ、三又土筆と云つて一つの茎から三つの土筆が出てゐるのがあるかも知れないからね。そんなのは滅多にないのだけど、ひよつとしたらあるかも知れないよ、昔から三又土筆を見つけた人は、出世すると云つてゐるから探して御覧』
出世すると云はれて、二人の大(おほき)くみひらいた眼には、一層喜びの色があらはれました。
おたあちゃんとおきいちゃんは、出世する土筆を見つけることができるだろうか? 二人をまっていたものとは?
子どもであること。大人になれなかったということの意味は?
・・・・どれを問いかけても、むなしい。「なぜ?」がいつまでも心の奥にこだまする。
まっさらな心で読めば、この話は幸せな話なのだ。彼女たちの思うとおりになったのだから。
いや、おどろおどろしいものはでてこないが、この話もまた怪談といえないだろうか?
大人は、話の裏を読もうとするからいけないな。ひらがなの魔力にかかってしまい、この話の大切なことを見失いそうだ。

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