今から二十年ほども前になろうか、市内の中核の総合病院がまだ古い建物だったころの話だ。ある日、私は、個人の病院から紹介状をもらって、内科の待合室にいた。なかなか来ない順番を、ソファの端に座って本を読んで待っていた。目が疲れて顔を上げた。そのとき、後ろのドアがあいた。産科の病棟のドアである。何気なくそちらをみると、三十代前半と思われる男性の後ろをマタニティドレスの女性が、小さな箱を抱いて出てきた。その箱の小ささに、私ははっとして、彼女が横を通るとき、思わず合掌した。彼女から遅れること数歩、彼女の母親だろう、「ありがとうございます」と私に通りざま声をかけた。
三月の半ばごろのことだったように思う。窓の外には雪が降っていた。
母払う小さき棺《はこ》に春の雪
窓の雪腹の温もりひとつ失く
・・・とそのときのことを思い出し発句してみた。
先日、死産を夫婦で乗り越えようとしていらっしゃる方の日記を読ませていただいて思い出したことを書いた。
そして早朝6時4分、私の地域でもサイレンが鳴った。阪神大震災から14年。生きていることは、生のはかなさを知ること。知って強さに変えること。
「尾崎放哉選句集」 尾崎 放哉
はかなさは燈明の油が煮える

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