昔、花火というと、夏の風物詩だったはずだが、最近は、野球場のホームランの花火から東京ディズニーランドの花火、大晦日の年越しの花火まで、年中どこかで花火が上がっている。世の中には、暇さえあれば花火を見るために、列車や飛行機を乗り継いで日本列島を走りまわる人たちがいる。
私の友達もその一人。毎年八月の終りに行われる
秋田県大曲市の花火大会には、合羽を着てでも桟敷席で花火を見上げる。
「テレビで見ているほうがよほどいいのに」と私は言うのだが、花火好きには、テレビに映る花火は花火ではないらしい。
では花火のどこがいいのかと尋ねたら、彼女が言うには、
「きれいじゃない」とひと言。「真っ暗な夜空にぱあっと開いて、さあっと消えていく。あれがいいのよねえ・・」と両手を開いて見せた。
「ふうん、まあ・・きれいなことはきれいだわ。でも合羽を着てまでみたいとは思わない」と私が言うと、
「だって、雨が降ろうが、花火が上がるから」と目じりに皺を寄せて笑った。
裕福な育ちゆえか、彼女がいると場が華やかになった。いつも笑いがあった。その影で、彼女は、一生懸命母親の介護をしていた。彼女の泣き言を聞いたことはない。
二年半ほど前、彼女は癌を告知された。彼女は、ストレートに「私、癌なの」と私に言った。
「お互い親の介護をして、私が脳卒中で倒れ、次に貴女が癌か・・」と、私が呟くと、
「後、心臓病がくれば、日本の三大死因だわ」と彼女が言うので、お互い顔を合わせて笑った。
彼女は、決して癌であることを隠そうとしなかった。「癌」ということばを聞いた相手が驚くと、その反応を私によく話してくれた。
今年の暑い夏の日、冷静な彼女が、「抗がん剤がうまくいかないの」と電話の向こうでぽつりと言ったことがある。受話器を持つ私の手に汗がにじんだ。私は、「そうなの」とだけやっと答えた。
今週の月曜日、私は憑かれるようにして病室へ会いに行った。半年ぶりに会う彼女の顔は、半分ほどの大きさになっていた。そして息遣いも荒かった。明らかに私は戸惑った。私の頭の中には、彼女と話すための楽しい話題が詰まっていたのだから。
彼女の交友の広さ、遠方からの友人たちが先に、ベッドを囲んでいた。私とは、面識がない。その中の一人の方が、「肩をゆすって声をかけてみて」と教えてくれた。そのとおりに、私は、肩をゆすって名前を呼んだ。涙があふれ出るのを必死でこらえながら。私はどうあっても涙を彼女の頬に落としてはならなかった。朦朧とする彼女の中では、何も変わっていないはずなのだろうから。
「私よ、わかる?来たよ」と言うと、彼女はどんよりとした目を少し開けて、大きく頷いた。そしてこもった声で「ありがとう」と言った。
それから、彼女の友だちと、交友談で盛り上がった。私たちはまるで以前からの知己のように、みんなで大笑いした。彼女も楽しそうに、時折、声にならない声で参加した。
木曜日、祭壇には、五十代半ばの彼女は、短い髪をし、ふくよかな顔立ちにまっすぐと真っ赤な口紅を引いている。そして、青と赤のスカーフを首に巻き、真っ赤なセーターを着ている。いつもの彼女がいる。
舞踏会 芥川 竜之介
その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手(くもで)に闇を弾(はじ)きながら、将(まさ)に消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。
「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生(ヴイ)のやうな花火の事を。

0