県道から建設中の小学校が見える。小学校の建設のため、田畑はなくなり、道は舗装された。数年前までの、草は伸び放題の風景はなくなった。一切を時折、遠くから眺めてはいた。ふと気になったことがあって、今朝は、そこらあたりまで行ってみることにした。
県道から農道の細い道を下りて行く。その道と舗装された道の交差する辻に、
馬頭観音がある。小学校の建設工事で、どこかへやられたのではないのかと私は心配した。
靴の裏に張り付く落ち葉を気にしながら、私は農道を下りきったところに小さな墓石が見つけた。しかし墓石ではない、前に回ると三面が浮き出ている。
馬頭観音というと、解説にもあるように、本来はきつい顔のものなのだろうが、この馬頭観音はとても優しい顔をしている。その顔が好きで、工事で通行止めになるまえまで、よく会いにきた。そして手を合わせた。
今朝も私はしゃがんで、冷えた手を合わせた。そして、ジャンパーのファスナーを上げ、立ち上がってぐるりと見渡した。
秋空が学校のガラス窓に映っている。
トラックが集まってくる。
人が働いている。
道がまっすぐと伸びている。
馬頭観音と書かれた白い襷が石に張り付いている。
供えられた野菊が色あせ、コップの水が青く光っている。
「障子のある家」尾形 亀之助
秋冷
寝床は敷いたまゝ雨戸も一日中一枚しか開けずにゐるやうな日がまた何時からとなくつゞいて、紙屑やパンのかけらの散らばつた暗い部屋に、めつたなことに私は顔も洗ら(ママ)はずにゐるのだつた。
なんといふわけもなく痛くなつてくる頭や、鋏で髯を一本づゝつむことや、火鉢の中を二時間もかゝつて一つ一つごみを拾い取つてゐるときのみじめな気持に、夏の終りを降りつゞいた雨があがると庭も風もよそよそしい姿になつてゐた。私は、よく晴れて清水のたまりのやうに澄んだ空を厠の窓に見て朝の小便をするのがつらくなつた。

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