秋の夕暮れ、正面、西の空に、赤い太陽がある。そして沿道に赤いダリアが咲いている。私の傍らを、記憶の風が通る。二三日前から、私はずっと気になっていることがある。
赤いダリア・・祖母の家の前庭に咲いていた。小学校のころ、朝、祖母が三四本摘み、新聞紙に包んだ。私はそれを学校へ持って行った。先生が教壇に飾ってくれた。
ある年、祖母は切ってくれることがなかった。私は、教室へ持って行きたがるような子供でもなかったので花のことをあまり気にも留めていなかった。
秋のある日曜日、祖母がそのダリアを数本切って新聞紙に包んだ。そして「きよ子さんの家に遊びに行くよ」と言った。
あまり人付き合いをしない祖母のところに、たまにきよ子さんから便りが来た。祖母は、闘病生活をしていたときに知り合ったのだと教えてくれた。親子以上に歳の違った者同士だったがとても気が合ったのだという。他人の名前をめったに口にすることのない祖母だったが、彼女の名前だけを私に聞かせた。
きよ子さんは、祖母の家にも訪ねてきてくれたらしいが、私は会ったことがなかった。そのきよ子さんから「遊びに来てください」って便りが来たのだろうと思う。とにかく祖母は彼女の家に行く気になった。
車社会の現在なら直線でいけるからそんなに時間もかからないのだろうが、その当時バスを乗り継いで1時間ほどかかった。乗り物に弱い祖母の顔色が段々悪くなっていくのが子供心にもわかった。どうしたらいいのか、私は途方にくれた。前の席の背もたれに腕を乗せて顔を伏せる祖母を下から見上げて「大丈夫?」と声をかけることが精一杯だった。祖母は、苦しそうに頷いた。手には、しっかりと赤いダリアが握られていた。
やっとの思いで、バスを降りて、今度は家を探さなければならなった。何度も住所と名前で訊いてまわってやっと見つかった。そこから私の記憶は、その家の中に飛ぶ。
きよ子さんは、母親と二人でこじんまりとした家に住んでいた。祖母の持ってきたダリアをきよ子さんは花瓶に挿した。きよ子さんの白く長い指先だけを私は今でも覚えている。どんな顔をした人だったか覚えていない。病院生活当時の話が弾み、夕食をご馳走になって帰って来たのだったと思う。
帰りのバス、祖母は疲労が加わった分、朝よりもつらい思いをした。いつ嘔吐するかわからない祖母が、ふと疎ましく思えた。なぜ行こうといいだしのか、と小学生の私は祖母を心の中で責めていた。
それから一年ほどして、やはり庭には赤いダリアが咲いていた。祖母はぽつんと呟いた。
「きよ子さんが亡くなったってお母さんからはがきがきたよ」と・・・
私が気になっているのは、きよ子さん・・本当にきよ子さんという名前だったのだろうか。苗字は何だっただろうということ。祖母がこの世にいない今、知るすべもない。また知ってどういうことでもない。私の人生にかかわることのなかった人たちだ。
赤いダリアの黒い陰が揺れる。
「晶子詩篇全集」 与謝野 晶子
わが庭
おお咲いた、ダリヤの花が咲いた、
明るい朱(しゆ)に、紫に、冴(さ)えた黄金(きん)に。
破れた障子をすつかりお開(あ)け、
思ひがけない幸福(しあはせ)が来たやうに。
黒ずんだ緑に、灰がかつた青、
陰気な常盤木(ときはぎ)ばかりが立て込んで
春と云(い)ふ日を知らなんだ庭へ、
永い冬から一足(いつそく)飛びに夏が来た。
それも遅れて七月に。
まあ、うれしい、
ダリヤよ、
わたしは思はず両手をおまへに差延べる。
この開(ひら)いて尖(とが)つた白い指を
何(なん)と見る、ダリヤよ。
しかし、もう、わたしの目には
ダリヤもない、指もない、
唯(た)だ光と、※(ねつ)[#「執/れっか」、205-上-3]と、匂(にほ)ひと、楽欲(げうよく)とに
眩暈(めまひ)して慄(ふる)へた
わたしの心の花の象(ざう)があるばかり。

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