八月の終り、私はアメリカの青年をお茶室に案内した。アメリカの大学で日本文化を学んでいたものの、本物の「The tea ceremony」とあって緊張しているようだ。口数が減り、90キロの大きな身体をゆさぶりながら、何度も額の汗をタオルで拭った。そのタオルをかばんにしまいながら、自分は正座できるだろうかと日本語で私に尋ねた。「だいじょうぶ」と日本語で私は答えた。彼は安心したのか、難題の一つをクリアしたような様子で、重そうなガラスのドアを軽々とあけてくれた。
私たちは外にでたとたん、彼は"Oh!"と声を上げた。
日本式庭園が開ける。晩夏の太陽の下、山に見立てた鮮やかな芝生の緑の裾野に、深い木々の緑がそびえ、その影が池に見立てた白砂に伸びる。その縁の通路を私は、ゆっくりと歩いたつもりだが、彼は名残惜しそうに何度も振り返り、カメラのシャッターを切った。
彼を案内したのは、本式の茶会ではなく、美術館に併設されたこじんまりとした茶室。椅子に座って干菓子と抹茶をいただいた。初めて飲む抹茶を、気に入ったのか、日本語で「おいしい」と言った。茶席の方も「よかった」と言って、にこりとされた。
ゆったりしてから、私たちは立ち上がった。また庭園をみた。中に入れないのかという訊くから、無理だと答えた。でも「向こうに、中に入れる庭園があるから」と日本語で言うと、彼はうれしそうに頷いた。
出入り自由な庭園の池に鯉が泳ぎ、鴨が遊ぶ。そのとき、彼が"look!"と小さな声で叫んだ。彼の指さすほうをみると、池に迫でた小枝の葉に赤とんぼが止まっている。水面に映る葉がかすかに揺れ、それらを赤い鯉がさっと浚って行った。
彼は何度もカメラのシャッターを切った。トンボは英語で「doragonfly」だったよなと呟いた。アメリカにだってトンボはいる。しかし赤とんぼっていないのかな・・と思ったら、そういうことではないらしい。彼が言うには、こんなに綺麗なトンボはいないのだそうだ。
綺麗な赤とんぼは、綺麗な理由があるのだといおうとしたのだが、理解してもらえないだろうとやめた。
俗にいう赤とんぼというのは二種類あり、晩夏に飛ぶのは「精霊とんぼ」で秋になって飛ぶのは「アキアカネ」だと小学校のころ教えてもらった。
だから私たちの見たのは、精霊とんぼだろうと思う。「精霊とんぼ」名の通り、死んだ人がトンボになってこの世に帰ってくるから赤い色をしているのだと祖母に教えてもらった。
ふと祖母のことを思い出し、ぼんやりしている私に、「どうしたのですか?」と日本語で彼は訊いてきたが、私は頭を振って、赤とんぼを見送った。
行乞記 (三)種田 山頭火
八月廿六日 川棚温泉、木下旅館。
秋高し、山桔梗二株活けた、女郎花一本と共に。
いよ/\決心した、私は文字通りに足元から鳥が立つやうに、川棚をひきあげるのだ、さうするより外ないから。……
形勢急転、疳癪破裂、即時出立、――といつたやうな語句しか使へない。
其中庵遂に流産、しかしそれは川棚に於ける其中庵の流産だ、庵居の地は川棚に限らない、人間至るところ山あり水あり、どこにでもあるのだ、私の其中庵は!
ヒトモジ一把一銭、うまかつた、憂欝を和げてくれた、それは流転の香味のやうでもあつたが。
精霊とんぼがとんでゐる、彼等はまことに秋のお使である。
・いつも一人で赤とんぼ
今夜もう一夜だけ滞在することにする、湯にも酒にも、また人にも(彼氏に彼女に)名残を惜しまうとするのであるか。……

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