先日タイへ観光に行ってきた。観光客でごったがえす、有名寺院には、犬と猫がそこらあたりをうろうろしている。それらはみな捨て犬、捨て猫で、観光客の喧騒の中のんびりと生活している。あれは、たいしたものである。犬猫も大小さまざま、色もバラエティに富んでいた。どうみても血統書があるだろうというのもいた。そんな中で、金色の寺院に似合ったのは、なんといっても
シャム猫。寺院の赤い塀を歩いているのを、私は立ち止まって見とれた。三十度超えた中、青い目で人をちらりと見下ろしては、天に伸ばした尻尾を二三回動かし、まっすぐと前を歩いていく。
「本当のシャム猫だ!」と私がつぶやくと、それを聞いていた一緒のツアーの人が・・
「ここにいるのは、みんなシャムの猫だ!」と突っ込みをいれられてしまった。
「文学以前」 豊島 与志雄
千九百三十一年のこと、南仏の地中海沿岸で冬を過した二人のパリー婦人が、復活祭後、パリーへ戻ることになった。その一人、D夫人は自動車で行くことにし、も一人のB夫人は、マルセイユの親戚を訪れるため、汽車で行くことになった。ところが、D夫人には一匹の愛猫があった。精悍放縦な美しいシャム猫でアユーチアと呼ばれていた。このアユーチアは自動車が嫌いで、その代り汽車をさほど嫌がらない。そこでD夫人は、それをB夫人に託した。空色の籠の中に、柔かな綿を敷き、そこに猫をとじこめてこまごまと依頼した。B夫人はそれを受取り、身に代えて大切にしてやると誓った。
然るに、そのアユーチアが姿を消したのだ。B夫人がマルセイユの親戚の家に着いて、籠からアユーチアを出してやろうとすると、驚くべきことには、美事なシャム猫の姿は見えず、汚い灰色のどら猫が、のっそりとはい出して来た。
全く腑に落ちない事件だった。空色の籠はまさしくD夫人から預ったままのものである。途中で何者かが、全然同様な籠とすりかえたのであろうか。或は、中の猫だけをすりかえたのであろうか。それとも、あのアユーチアがどら猫に化けたのであろうか。その謎は解かれずに終った。
――この話は全く事実である。この事のために、D夫人はB夫人と諍いを生じ、D夫人は弁護士に依頼して、B夫人を相手取り、愛猫喪失の慰藉料を請求した。その記録まで残っている。D夫人は後で思い直して、その訴訟を取下げはしたが、一時はかっとなって訴訟にまで及んだことに、シャム猫の主人公たるパリー貴婦人の面目が窺われないでもない。
日本では、猫はその死にぎわに失踪して決して死体を人に見せないと、昔から云い伝えられている。然し当節では、猫も人の看護を受けながら、畳の上、布団の上で、安らかに息を引取る。猫に通力が無くなったのであろうか。否、事実は、昔の猫は病苦のあまりやたらにうろつき廻り、そこらの藪の中や物陰に我と我身をつきこんだものだったが、当節では、文化的看護の方を信頼するようになったのであろう。文化の進歩に依る――遺憾ながら――猫性の退歩である。
昔、知人の家に、「ダン」というメスのシャム猫がいた。いつも悠々として、その茶色の尻尾をぴんと立てて私を見ても、ふん!という顔をして向こうへ行ってしまった。何度か、出産して、家の人と、そっと赤ちゃんを見に行った覚えがある。母親の懐に蹲る黒い子猫がかわいかったが、母親の青い瞳は警戒心が満ち溢れていた。
子猫はすぐに引き取り手が決まった。そのうち母猫もどうしたのか。いつの間にか家からいなくなった。飼い主が必死に探しても見つからなかった。綺麗な猫だったから誰かが盗っていったものか、どこかで幸せにしていればいいという話を聞いた覚えがある。
さて、豊島がこれを書いた時代から想像も付かないのは、ペット産業。犬猫の介護用品が売られている。猫も犬も通力がなくなったのかもしれない。なんせうちの犬は、「雪やこんこ」の歌を裏切り、雪どころか雨さえ、嫌がって出ようとしない。
文化の進歩に依る――遺憾ながら――犬性の退歩である。
タイの見聞録を私のblog
soraで書いています。また読んでください。

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