十一月も半ばを過ぎて、こういう話はどうだろう。
「手紙雑談」 坂口 安吾
私は廿二歳の晩秋愈々頭が狂ひさうになつたのでいつ自殺してしまふのか自分でも見当がつかないと思はずにゐられなかつた。そこでその頃たつた一人の友達だつた山口といふ岸田国士門下の俳優の卵へあてゝ書置きめいた手紙を送つた覚えがある。死んだらこれこれのノートへ書きとめておいたものを機会のあるとき世へ出してくれといふ意味だつた。この山口といふ男は当時の私のたつた一人の友達だが(もう一人沢辺といふのがゐたがこれはほんとに発狂して巣鴨の保養院に入院中であつた――)私が日夜の妄想に悩み孤独を怖れて連日彼を訪れるものだから、彼は私の蒼白な顔とギラギラ底光りのする眼付に怯えて、突然夜逃げをしてしまつた。怖るべき孤独のまぎらす術(すべ)を失つた私は彼の無情を憎んで、見つけ次第絞め殺してやらうといふ想念に苦しめられて弱つた。
学生のころ、遺書に何を書くかという話になったとき、ある友人が、ひとこと、「何も書かねえ」と言ったのを今でも覚えている。彼の真意はどうであったか、今となってはわからない。
私は、慢性的突発欝状態を漂っているとき、何かを書いて残すというところまで知恵は回りかねるのだが、それでも、びっしりとつまった灰色の雲のような頭の中に、針の穴ほどの隙間ができるときがあり、そういうときは、あれも書こうか、これも書こうかと思ってみる。いやこれを書いては、死後だれそれに迷惑がかかるとかも考える。そういうことを繰り返して、私は生きてきた。
さて、今日のテーマは、「手紙」
パソコンが普及して、手紙は書かなくなった。メールで済ましてしまう。メールは、面白いもので、長い文章の人と、短い文章の人がいる。
メールというものをはじめて間もないころ、ある人とメールのやり取りをしていた。朝、メールソフトをひらいたとき、彼の理路整然とした文章が隅から隅まで埋まっていた。初心者の私は、正直にそれに答えなければならないのだと、毎日せっせと同じように隅から隅まで書いた。それが何日続いただろうか。とにかく疲れた。しばらくして、メールはそんなに負けず嫌いを発揮して書くものではないと知った。毎日答える彼も大変だっただろうと思う。今となっては懐かしい笑い話だ。
安吾の作品に話を戻そう。
「人生は手紙ですよ。手紙のやうだと言ふのではないのです。人生は手紙なんです。手紙を書かうとする心の中には、生きたい希ひも、高潔でありたい希ひも秘められてゐます。光に面した正しい人生を暗示するものは手紙を書きたい思ひなんです。手紙を書くことを忘れた人は、それはもう光に背中を向けた陋劣な現実家、一匹のうごめく虫にすぎません」
この一節で思い出した話がある。
彼女の本棚の隅の方に、何十年も動かされたことのない一冊の本があった。彼女は、何気なく本を手にとってみると、はらりと一枚の紙が本の間から落ちた。それは、黄色の便箋に緑色のインクで書かれた一通の手紙だ。書いた人の名前がない。なぜないのか。答えは簡単だ。書く必要がなかったから。文章は暗号じみていて、書いた彼と受け取った彼女以外、何のことだかわからない。子供じみた他愛もないカップルのよくやる遊びだ。キャツキャ キャツキャと顔を合わせて笑い、ふざけあう。その時間が永久にあるのだと二人は思っていた。それが幻にすぎないと先に悟ったのは、彼女の方だ。
しかし彼女に初めて生きる力をくれたのは彼だ。彼女は、そっと文字を指で撫ぜてみた。彼女は、昨日その手紙をもらったような気がしたが、本の黄ばみは正直だ。遠いとおい昔なのだと彼女は自分に言い聞かせた。そのとき、階下で、彼女を呼ぶ声がした。彼女は、その手紙をその本に挟むと、その本を本棚の隅に返し、木製の扉をしっかりと閉めた。

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