「智恵子抄」 高村 光太郎
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
昭和一四・二
この詩の背景は、この詩集の最後に光太郎が書いている。
ただ此の病院生活の後半期は病状が割に平静を保持し、精神は分裂しながらも手は曾(かつ)て油絵具で成し遂げ得なかつたものを切紙によつて楽しく成就したかの観がある。百を以て数へる枚数の彼女の作つた切紙絵は、まつたく彼女のゆたかな詩であり、生活記録であり、たのしい造型であり、色階和音であり、ユウモアであり、また微妙な愛憐(あゐれん)の情の訴でもある。彼女は此所に実に健康に生きてゐる。彼女はそれを訪問した私に見せるのが何よりもうれしさうであつた。私がそれを見てゐる間、彼女は如何にも幸福さうに微笑したり、お辞儀したりしてゐた。最後の日其を一まとめに自分で整理して置いたものを私に渡して、荒い呼吸の中でかすかに笑ふ表情をした。すつかり安心した顔であつた。私の持参したレモンの香りで洗はれた彼女はそれから数時間のうちに極めて静かに此の世を去つた。昭和十三年十月五日の夜であつた。
この詩は、読んだままである。何一つ難しい言葉も概念もない。それがまたこの詩の、愛されてきた由縁の一つだろう。しかし、私がこの詩からうけるイメージは、一人の人間の生を見届ける光太郎の凄みで、ちょっと近寄りがたいものだ。彼は、どんな顔をして智恵子の前に立っていたのだろう。智恵子はどうやって、光太郎の手からレモンをとったのだろう。彼女の腕の白さと細さが、光太郎の目にはどう映ったのだろう。レモンを持った彼女の手は?目を閉じてしまった妻に、夫は何も声をかけなかったのか。詩なので、それらを描くことはしないし、また彼の声もない。あるのは、光太郎の、黄泉の国へ旅立つ妻を見つめ、ベッドの下で、ひそかに掌をぐっと握り締める力。それが「レモン哀歌」という詩なのだと思う。

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