昨日ガラス張りの天井一杯に満ちていた、青空と太陽の光を思い出した。住まいなき人たちも、私も陽光を浴びてぼんやりとしていた。
たった一度の冬の日。かつて経験したはずの、あの陽光とまなざし…?
III
我が生は恐ろしい嵐のやうであつた、
其処此処(そこここ)に時々陽の光も落ちたとはいへ。
ボードレール
九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有(いう)であるやうに
またそれは、凭(よ)つかかられるもののやうに
彼女は頸をかしげるのでした
私と話してゐる時に。
私は炬燵(こたつ)にあたつてゐました
彼女は畳に坐つてゐました
冬の日の、珍しくよい天気の午前
私の室(へや)には、陽がいつぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは) 陽に透きました。
私を信頼しきつて、安心しきつて
かの女の心は蜜柑(みかん)の色に
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといつて
鹿のやうに縮かむこともありませんでした
私はすべての用件を忘れ
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(ぐわんみ)しました。
中原中也「山羊の歌」(詩集「山羊の歌」)より
ボードレールの言葉に身体の冷たさを思い出させるもやがて、陽光の熱がじんわりと画面から伝わってくる。

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