半そでの洋服を閉まっていいかといえば、まだ日中に着ることもある。しかしそのまま夜までいては風邪を引く。そんな人間の都合など全くしらないところでは・・
「秋の気魄」 豊島 与志雄
秋は、凝視の季節、専念の季節、そして、自己の存在を味うべき季節である。秋の本当の気魄に触るる時、誤った生存様式――生活――は一たまりもなくへし折られてしまうであろう。その代りに、正しい生存様式――生活――は益々力強く健かに根を張るであろう。春から夏へかけていろんな雑草に生い茂られた吾々の生は、秋の気魄に逢って、その根幹がまざまざと露出されて、清浄な鏡に輝らし出されるのである。秋に自己を凝視してしみじみとした歓喜を味い得る者こそは、幸なる哉である。
どうも秋はセンチメンタルになっていけない。些細なことが増幅され、何倍にもなって心に響くのはなぜか。洋服を着こんでいくことと反比例して、雑草のように根幹が露出されていくのだろうか。普段触れることのない、心の奥底が秋風にさらされて、生きていくことさえしんどいと思うのようになる。しかし生きていかねばならない。それにしてもしみじみとした歓喜とは程遠いこと。秋を味わうことができるのはいつになるのやら・・

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