今日選んだ作品は、本来は海の話ではない、副題にあるとおり、安吾独特の新しい生命への思いが語られるのだが、先日海を見てきた私には、この安吾の話をちょっと違った見方で読んでみた。
こんもりと木々の茂った岬で切断された水平線に雲の間から薄い光の束が斜めに差し込む。差し込まれた光によって、海は白く光った。白い海に暗い色のスウェットスーツのサファーたちが戯れる。彼らに無関心な子供たちの歓声が波打ち際で響く。そして大きな犬が、砂を蹴散らしながら主人の周りを飛び跳ねている。
私は、展望台に立ち、それらをぼんやりと眺めていた。
「我が人生観」 01 (一)生れなかった子供坂口 安吾
毎年、ふるさとの海で、秋がふけると、海辺に立つ人の姿は私一人だけになる。秋になると、日本海は連日の荒天だ。浜には人の姿もなく、人の歩いた跡もない。波にクルクルまかれているのは、言うまでもなく、私だけだ。海も愛したが、孤独も愛したのだ。それがいつの年も秋の荒天まで私を海へひきとめたのである。
私の目の前にある海は、安吾のいた海とはずいぶん違ったものだと思いながら、彼の文章の根本に流れるものに惹かれる。
確かに秋の海というものは、人を孤独にする。それはなぜか?小刻みに変化する空の色に人の心がついていけないからか、それとも夏の喧騒をけろりと忘れた茫洋とした姿に憧れるからか。こんもりした岬の向こうにあるはずの水平線の延長にその答えはあるような気がした。

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