本日公開は、尾形亀之助のエッセイ五編。
私が尾形亀之助の名前を知ったのは、ずいぶん前になる。学生時代だった。誰がどんな目的で書いたのがわからないが、図書館に落ちていた紙切れにあった詩一編。
「雨になる朝」 尾形 亀之助
花
街からの帰りに
花屋の店で私は花を買つてゐた
花屋は美しかつた
私は原の端を通つて手に赤い花を持つて家へ帰つた
たったこれだけのことばに凝縮されたもの。行間の息遣い。目の前に情景がパアっと広がり、花を持つ”私”の表情まで思い浮かぶ。なんと凄い詩人がいたものだろうか。と図書館で彼の他の詩集を読み漁った覚えがある。
数年後、友達からその詩集をプレゼントされて、うれしかった。その後何度読み返しただろうか、日常の生活に飲み込まれていった私は、あえて手に取ることもなくずっとながいこと本箱においたままだった。
「さびしい人生興奮」
私はこの詩集をいそいで読んでほしくないと思つてゐる。本箱のすみへでもほうり込んで置いて、思ひ出したら見るといふことにしてもらひたい。
本日公開のエッセイは、詩集にはない亀之助の本音、じっくりと読み直してみたいものである。

0