今日は、折口信夫の命日である。先日jukiさんがお書きになった「死者の書」が有名であろう。いまさら私がかくまでもなく、民俗学者として、また歌人としても一流の人であった。そして日本の美に関しても敏感な人である。
「日本美」 折口 信夫
外に何物をも容れない小世界、純粋な世界、さう言ふ小世界の存在を考へる所に、日本の芸術の異色がある――が、花の場合でも同じではないかと思ひます。広い世界を暗示する考へ方ではなく、与へられた材料だけでそれ以外に拡らず、それで満ち/\たごく簡素な世界を形作つてゐる、そこにさびがあるのです。私はさびをさうした極平凡な考へ方で考へてゐます。そしてさびは今後我々の心の一つの刺戟なのですが、併し、常にさびた花ばかり考へてゐてはいけません。わびすけの椿が、あのさゝやかな莟の中に何物もなく、ひそやかにふくれてゐる――あゝ言ふ小世界――それに近いものなのです。が、ともかく、さびを感じるのは、日本人が極僅かの材料で、自分だけの世界を作る事の出来る習慣があるからだと思ふのです。それを他の人に見せて、他の人にもその小さな世界のよさを感じる様に導くといふ道があるのです。かう言ふ行き方は、生活の全面ではないが、多少でも人を教へようとしてゐる人の、時には持つことが出来なければならぬ心境だと思ひます。
さびとはいうものの、いったい何なのかと考えたとき、折口のこの答えは明解である。私たちの課題は、それをいかに守れるかということだろうか。

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