次に菩薩、これは大心ありて仏道に入る義にて、すなわち仏の次に位する称号。
秋の日の晴れ渡った空を見ると、私の心に不思議なノスタルジアが起って来る。何処(どこ)とも知れず、見知らぬ町へ旅をしてみたくなるのである。
また九月二十八日がやつて来ます。思へばあはただしい一年間でした。近いうちに本郷を訪れようと思つて居ります。それでは御元気で居て下さい。と義弟の永井善次郎にあてた手紙に書いている。原の一家にとって何か重大なことが起こった日なのでしょうか。探せば何か分かるかな。
この九月末宇野浩二氏から電話がきた。私は生憎不在だつたが、至急の話があるから今夜か明朝会ひたい、訪れてほしいといふのであつた。
私の知人関係では宇野浩二氏をお喋りの王座にすゑなければならない。相手に喋る隙を与へず自分ひとりのべつ幕なしに喋りまくるのである。恐らく黙つてゐるのが気づまりで、沈黙が恰(あたか)も心中にうごめく醜悪な怪獣であるかのやうに不快であるのかも知れない。
宇野さんも人に会ふのが苦手だらうが、私も宇野さんと向ひあふのは苦手である。疲れるのだ。自分ひとり喋りまくつて一人相撲に疲れてしまふ宇野さんは自業自得で是非もないが、人のお喋りをきいて虚無的な疲れ方をしなければならないのは、並たいていな馬鹿な話ではないのである。
詩は、かかる五分の魂を風に吹かれてひろがる虫のように、人の口から口に伝わってひろがらしめるものである。詩が「諷」せられるというのも、風の中に「虫」の字がひそんでいるのもそのことをものがたっているのである。
「刺」とは、このひろがるところのものが、人民のうらみのことばであり、詩は剣のように、ひそかに政治の誤謬をさし貫き燎原の火のごとく人の手から人の手にうつりゆく武器となったのである。「諷」と「刺」は、かくして一つのものとなってくるのである。
鄭玄の注の中に見いだされる東洋の古い美学には、プラトン、アリストテレスにない苦しい伝統の出発がある。
この「志」と「刺」とは私たちの注目すべき、言葉である。
「古代のほほえみ」アルカイク・スマイルという言葉があるが、これと無関係ではないと思われる。ギリシャにも、エジプトにも、大同の石仏にも、中宮寺の観音にも一貫した「ほほえみ」があるのがそれである。
私は、三百日の留置場生活の中で、顔前をうつり変わった数百人の人々の中に、この種の「ほほえみ」とギクッとするほど似たものを数度見たことがあった。そして、「刺」の中にある、ある嘆きの深さ、ほほえみの深さにふれたように思った。
ところがおもしろい事にはこれらの侵入者が手をつけないで見のがす幾種類かの草花がある事を発見した。それはコスモスと虞美人草(ぐびじんそう)とそうして小桜草(こざくらそう)である。(中略)
また一方珍しくないコスモスは取られないほうに属していた。
たださへ夏は氣短になり勝なのに全身麻醉をかけられて、外科手術をした後の不愉快な心持は、病院を出てから一週間にもなるのに、未だに執念深く殘つて居る。と始まるとおり、非常に不機嫌そうな書きぶりです。前半は、自分の小説が心外な評をされたと言って評論家をこき下ろし、後半は、見に行った芝居が下手だと言って、主演女優をほとんど暗殺に近いほど酷評しています。
この花は、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)とも云って軽蔑されていたが、それは日本人の完成的趣味に合わないためであっただろう。正岡子規などでも、曼珠沙華を取扱った初期の俳句は皆そういう概念に囚われていたが、
※(「くさかんむり/意」、第3水準1-91-30)苡(ずずだま)の小道尽きたり曼珠沙華 子規