八月末の残暑の強い日に、かれは今日もてくてくあるきで、汗をふきながら、下谷御徒町の或る横町を通ると、狭い路地の入口に「この奥にかし家」という札がななめに貼ってあるのを見付けた。しかも二畳と三畳と六畳の三間(みま)で家賃は一円二十銭と書いてあったので、これはおあつらえ向きだと喜んで、すぐにその路地へはいってみると、思ったよりも狭い裏で、突当りにたった一軒の小さい家があるばかりだが、その戸袋の上にかし家の札を貼ってあるので、かれはここの家に相違ないと思った。このころの習わしで、小さい貸家などは家主がいちいち案内するのは面倒くさいので、昼のうちは表の格子をあけておいて、誰でも勝手にはいって見ることが出来るようになっていた。ここの家も表の格子は閉めてあったが、入口の障子も奥の襖もあけ放して、外から家内をのぞくことが出来るので、彼もまず格子の外から覗いてみた。もとより狭い家だから、三尺のくつぬぎを隔てて家じゅうはすっかり見える。寄付(よりつき)が二畳、次が六畳で、それにならんで三畳と台所がある。うす暗いのでよく判らないが、さのみ住み荒らした家らしくもない。第一話と第二話は、全然怖くなかったんですけど… 何か読み落としているのかな。第三話は、どことなく切ない。
これなら気に入ったと思いながらふと見ると、奥の三畳に一人の婆さんが横向きになって坐っている。さては留守番がいるのかと、彼は格子の外から声をかけた。
その翌年が日清戦争だ。梶井の父は軍需品の売込みか何かに関係して、よほど儲けたという噂であったが、戦争後の事業勃興熱に浮かされて、いろいろの事業に手を出したところが、どれもこれも運が悪く、とうとう自分の地所も人手にわたして、気の毒な姿でどこへか立去ってしまいました。と終わる。戦争なんかやってお金をもうける人がいる世の中が一番怖いですね、今日びも、ひたひたと冷たい空気が近寄ってきますねと、まとめようと思ったら、今日の新聞にもっと怖い記事が。
五輪の国内立候補都市を巡り、石原慎太郎・東京都知事が、福岡市の応援演説をした姜尚中・東大教授に激しく反発、 … 「怪しげな外国人が出てきてね。生意気だ、あいつは」などと述べた。ぎゃあ。
秋という字の下に心をつけて、愁と読ませるのは、誰がそうしたのか、いみじくも考えたと思う。まことにもの想う人は、季節の移りかわりを敏感に感ずるなかにも、わけていわゆる秋のけはいの立ちそめるのを、ひと一倍しみじみと感ずることであろう。私もまた秋のけはいをひとより早く感ずる方である。といって、もの想う故にではない。じつは毎夜徹夜しているからである
今すこし著(しる)く み姿顕(あらわ)したまえ――。
郎女の口よりも、皮膚をつんざいて、あげた叫びである。山腹の紫は、雲となって靉(たなび)き、次第次第に降(さが)る様に見えた。
戸をあけて宅(うち)へ入らうとすると、闇の中から、哀(あはれ)な細い啼聲(なきごゑ)を立てゝ、雨にビシヨ/\濡れた飼猫の三毛が連(しきり)に人可懷(ひとなつかし)さうに絡(からま)つて來る。
お大はハツと思つたが、小煩(こうるさ)くなつて、
『チヨツ煩(うるさ)い畜生(ちきしやう)だね。いくら啼いたつて、もう宅(うち)にや米なんざ一粒だつて有りやしないよ。お前よりか、此方(こつち)が餘程(よつぽど)餒(ひもじ)いや。』と呶鳴(どな)りながら、火鉢と三味線の外、何(なん)にもない上(うへ)へ上つて行く。
もう何をする勇氣もなく、取放(とりツぱな)しの蒲團の上に、疲れた重い體をヅシンと投出したと思ふと、憤(じ)れつたさうに泣いて居た。
三毛は暫く其處らをウソ/\彷徨(さまよ)うてゐたが、旋(やが)て絶望したのか、降連(ふりしき)る雨のなかを、悲しげな泣聲が次第に遠くへ消えて行つた。
「・・・・おう、海王星が見えてきました。その右側に冥王星も見えます。冥王星は太陽系の九つの大きな遊星(ゆうせい)のうち、一番外側にある星です。どうですか、東助君、ヒトミさん。こうして太陽系を見わたした感じは……」
「すごいという外(ほか)、いいようがありませんねえ」
「背中が寒くなりますわ。広い大きな空間ですわねえ」
「おどろくことは、まだ早いです。こんどは太陽系をはなれて、もっと外へでてみましょう」
澄み透(とお)った水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感じとともに、訝(いぶ)かしい魅惑が私の心を充たして来るのだった。
私はそれによく似た感情を、露草の青い花を眼にするとき経験することがある。草叢(くさむら)の緑とまぎれやすいその青は不思議な惑わしを持っている。私はそれを、露草の花が青空や海と共通の色を持っているところから起る一種の錯覚だと快く信じているのであるが、見えない水音の醸(かも)し出す魅惑はそれにどこか似通っていた。
筧(かけひ)は雨がしばらく降らないと水が涸(か)れてしまう。また私の耳も日によってはまるっきり無感覚のことがあった。そして花の盛りが過ぎてゆくのと同じように、いつの頃からか筧にはその深祕がなくなってしまい、私ももうその傍に佇(たたず)むことをしなくなった。しかし私はこの山径を散歩しそこを通りかかるたびに自分の宿命について次のようなことを考えないではいられなかった。
「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている」
数日来残暑甚、羸躯発熱臥床、とあります。治安維持法で検挙され、獄中で漢詩に親しんだという河上肇の「放翁鑑賞 その六」の冒頭です。辛巳の年ですから、1941年に書いているようですね。
枕上成此稿。辛巳八月二十三日。
楓橋に宿りて河上が読み解く陸放翁(陸游)は12世紀、南宋の詩人。この詞は江蘇省蘇州(上海の西、約50キロ)の寒山寺の鐘を詠んだものですが、この鐘は一説によれば18世紀に日本人が略奪していったのだそうで、20世紀の初め、伊藤博文が謝罪の意味で新しい鐘を寄贈したのだそうです。
七年(ななとせ)ぶりに来て見れば
まくらにかよふ楓橋の
むかしながらの寺の鐘
鐘のひびきの悽(かな)しくも
そそぐ泪はをしめかし
身は蜀に入る客にして
巴山はとほし千里の北
暑いですね。ことしは特に暑いようですね。実に暑い。こんなに暑いの
変らないという事、その事だけでも、並たいていのものじゃないんだ。いわんや、芸の上の進歩とか、大飛躍とかいうものは、ほとんど製作者自身には考えられぬくらいのおそろしいもので、それこそ天意を待つより他に仕方のないものだ
どうも暑いですね。こんな暑い日にはいっそドテラでも着てみたら、どうかしら。かえって涼しいかも知れない。なにしろ暑い。