彼は、ゴルゴタへひかれて行くクリストが、彼の家の戸口に立止って、暫く息を入れようとした時、無情にも罵詈を浴せかけた上で、散々打擲を加えさえした。その時負うたのが、「行けと云うなら、行かぬでもないが、その代り、その方はわしの帰るまで、待って居れよ」と云う呪である。彼はこの後、パウロが洗礼を受けたのと同じアナニアスの洗礼を受けて、ヨセフと云う名を貰った。が、一度負った呪は、世界滅却の日が来るまで、解かれない。現に彼が、千七百二十一年六月二十二日、ムウニッヒの市に現れた事は、ホオルマイエルのタッシェン・ブウフの中に書いてある。
芥川龍之介「
さまよえる猶太人」。伝説のさまよえるユダヤ人が、ザビエルが日本にキリストの教えをもたらしたころ、日本にも現われ、ザビエルと親しく会話を交わした、という話。
今日、本屋に行ったら、新刊書のところに、ある年の末に起こって未だに解決に至っていない傷ましい殺人事件の真犯人を見つけた、とする本が並んでいた。事実とフィクションをまぜて、ある人たちについて「○○を見たら犯罪者だと思え」という類の先入観を植え付けることを意図した本だ。
悪く言えば、この芥川の作品も、事実と創作をごちゃまぜにしているという意味で、ちょっとトンデモな感じがしないでもない。まあ、さまよえるユダヤ人の言い伝えそのものがトンデモだから、しかたがない。作品自体の後味は悪くはない。
一応、口直しに、芥川が作品の末尾に言及したのとは違う個所を聖書から引用しよう。ヨハネによる福音書の最後に近い部分(21章23節)である。
しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。

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