手前味噌なようで申し訳ないが、今日は小栗虫太郎
「黒死館殺人事件」の公開日である。
小栗虫太郎および、「ドグラ・マグラ」、「虚無への供物」とならぶ日本探偵小説史上「三大奇書」のひとつに数えられる
彼の代表作に関してはWikipediaを参照していただくとして、今日はこの作品の魅力について語ってみたい。
純文学(死語?)の熱心な読者の方々なら、小栗虫太郎の文体を評して「何て冗漫で、無味乾燥な文体だろう」と呆れることだろう。また、所謂本格ミステリー(これも死語か?)・ファンの方々はトリックや謎解きの体を為していない小栗特有の(特に法水麟太郎ものに関して)プロットを大いに不満に思うことだろう。
ではこの奇書がなぜ多くの読者を惹きつけてやまないかというと、それはずばり衒学趣味(ペダントリー)にある。
一六七六年([#ここから割り注]ストラスブルグ[#ここで割り注終わり])版のプリニウス「万有史《ナトウラリス・ヒストリア》」の三十冊と、古代百科辞典の対として「ライデン古文書《パピルス》」が、まず法水に嘆声を発せしめた。続いてソラヌスの「使者神指杖《カデュセウス》」をはじめ、ウルブリッジ、ロスリン、ロンドレイ等の中世医書から、バーコー、アルノウ、アグリッパ等の記号語使用の錬金薬学書、本邦では、永田|知足斎《ちそくさい》、杉田玄伯、南陽原《みなみようげん》等の蘭書釈刻をはじめ、古代支那では、隋の「経籍志」、「玉房指要」、「蝦蟇図経《かばくずきょう》」、「仙経」等の房術書医方。その他、Susrta《スシュルタ》, |Charaka Samhita《チャラカ・サンヒター》等の婆羅門《ばらもん》医書、アウフレヒトの「愛経《カーマ・スートラ》」梵語原本。それから、今世紀二十年代の限定出版として有名な「生体解剖要綱《ヴィヴィセクション》」、ハルトマンの「|小脳疾患者の徴候学《ディ・ジンプトマトロギイ・デル・クラインヒルン・エルクランクンゲン》」等の部類に至るまで、まさに千五百冊に垂々《なんなん》とする医学史的な整列だった。次に、神秘宗教に関する集積もかなりな数に上っている。倫敦《ロンドン》亜細亜《アジア》協会の「孔雀王呪経《くじゃくおうじゅきょう》」初版、暹羅《シャム》皇帝勅刊の「阿※[#「口+它」、第3水準1-14-88]曩胝《アタナテイ》経」、ブルームフィールドの「黒夜珠吠陀《クリシュナ・ヤジュル・ヴェーダ》」をはじめ、シュラギントヴァイト、チルダース等の梵字密教経典の類。それに、猶太《ユダヤ》教の非経聖書《アポクリファ》、黙示録《アポカリプス》、伝道書《コヘレット》類の中で、特に法水の眼を引いたのは、猶太教会音楽の珍籍としてフロウベルガーの「フェルディナンド四世の死に対する悲嘆」の原譜と、聖ブラジオ修道院から逸出を伝えられている手写本中の稀書、ヴェザリオの「神人混婚《ベネエ・エロヒイム》」が、秘かに海を渡って降矢木の書庫に収まっていることだった。それから、ライツェンシュタインの「密儀宗教《ミステリエン・レリギオネン》」の大著からデ・ルウジェの「葬祭儀式《リチュエル・フュネレイル》」。また、抱朴子《ほうぼくし》の「遐覧《からん》篇」費長房の「歴代三宝記」「老子|化胡経《けこきょう》」等の仙術神書に関するものも見受けられた。しかし、魔法本では、キイゼルヴェターの「スフィンクス」、ウェルナー大僧正の「イングルハイム呪術《マジック》」など七十余りに及ぶけれども、大部分はヒルドの「|悪魔の研究《エチュード・スル・レ・デモン》」のような研究書で、本質的なものは算哲の焚書《ふんしょ》に遇ったものと思われた。さらに、心理学に属する部類では、犯罪学、病的心理学心霊学に関する著述が多く、コルッチの「|擬佯の記録《レ・グラフィケ・デラ・シムラツオネ》」リーブマンの「|精神病者の言語《ディ・シュプラヘ・デス・ガイステスクランケン》」、パティニの「蝋質撓拗性《フレシビリタ・チェレア》」等病的心理学の外に、フランシスの「|死の百科辞典《エンサイクロペジア・オヴ・デッス》」、シュレンク・ノッチングの「犯罪心理及精神病理的研究《クリミナルサイコロジイ・アンド・サイコパソロジック・スタディ》」、グアリノの「|ナポレオン的面相《ファキス・ナポレオニカ》」、カリエの「|憑着及殺人自殺の衝動の研究《コントリビュション・ア・レチュード・デ・ゾプセッシヨン・エ・デ・ザムプルシヨン・ア・ロミシイド・エ・オー・スイシイド》」、クラフト・エーヴィングの「裁判精神病学教科書《レールブッフ・デル・ユリスティッシェン・プシヒョパトロギイ》[#ルビの「レールブッフ・デル・ユリスティッシェン・プシヒョパトロギイ」は底本では「レールブッフ・デル・ユリスティッシェン・・プシヒョパトロギイ」]」、ボーデンの「|道徳的癡患の心理《ディ・プシヒョロギイ・デル・モラリッシェ・イディオチイ》」等の犯罪学書。なお、心霊学でも、マイアーズの大著「|人格及びその後の存在《ヒューマン・パーソナリチー・エンド・サーヴァイヴァル・オヴ・ボディリー・デッス》」サヴェジの「|遠感術は可能なりや《キャン・テレパシイ・エキスプレイン》」ゲルリングの「催眠的暗示《ハンドブッフ・デル・ヒプノチッシェン・ズゲスチヨン》」シュタルケの奇書「霊魂生殖説《トラデュチアニスムス》」までも含む尨大《ぼうだい》な集成だった。そして、医学、神秘宗教、心理学の部門を過ぎて、古代文献学の書架の前に立ち、フィンランド古詩「カンテレタル」の原本、婆羅門音理字書「サンギータ・ラトナーカラ」、「グートルーン詩篇」サクソ・グラムマチクスの「丁抹史《ヒストリア・ダニカ》」等に眼を移した時だった。鎮子がようやく、鎮魂楽《レキエム》の原譜を携えて現われた。
見よ、愛書家垂涎の的の稀覯本が並んだ書架を。これはビブリオマニア(紙魚、本の虫、書痴とも云う)の夢を掻き立てずにはいられない。実際、ネット上でも
こういう試みがあるし、「黒死館殺人事件」の完璧な書誌を作りたいと夢想した奇特な人士は少なくないに違いない。しかしながら、大部分の実在する書名の中に、架空の書物が混じっているという。これこそが小栗が仕掛けた最大の謎なのかもしれない。
また、こうしたブッキッシュな人々は「本の中の本」(最近では例えばジョン・ダニングの「死の蔵書」シリーズ)や「本をめぐる映画」(ベルナール・ラップ監督の
「私家版」やポランスキー監督の
「ナインスゲート」)を途轍もなく好む(寡聞にして「本をめぐる音楽」は知らず)。
誤解を恐れずに云えば、紙の本に対するフェティシズムなのだが、さて、こうした人種がオンライン・ブック、電子ブックを前にしてどうリアクションするのか? ビブリオマニア(紙魚、本の虫、書痴)の受容形態に対して、
オンライン版「黒死館殺人事件」は何らかの変容を齎らすのか?
――閉幕《カーテン・フォール》。

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