昨年「本日公開」のカテゴリーで一回紹介されているので、別のを選ばなくちゃいけないかなー、とも思うのだけど、「今日は何の日」にこだわる私としては、やはり外せない作品だ:
菊池寛「
ある抗議書」
司法大臣閣下。
少しの御面識もない無名の私から、突然かかる書状を、差上げる無礼をお許し下さい。私は大正三年五月二十一日千葉県千葉町の郊外で、兇悪無残な強盗の為に惨殺されました角野一郎夫妻の肉親のものでございます。即ち一郎妻とし子の実弟であります。私の姉夫婦の悲惨な最期は、当時東京の各新聞にも精しく報道されましたから、『千葉町の夫婦殺し』なる事件は、閣下の御記憶の中にも残って居ることと存じます。私は肉親の姉が受けた悲惨な運命を、回想する度ごとに、今でも心身を襲う戦慄を抑えることは出来ません。人間の女性の中で姉ほどむごい死方、否殺され方をした者はないと思いますと、私は今でも胸の中が掻き廻わされるように思います。私は、当時の色々な記憶を頭の中に浮べることさえ、不快に思われます。が、私は此の書状を以て、申上ぐる事の前提として、当時の事をちょっと申上げて置かなければなりません。
二年半後、犯人は逮捕され、一審で死刑を宣告されると、控訴はせず、約半年後、処刑される。この手紙の書き手やその家族の心にも、一つの区切りの時が訪れたかのようである。
しかし、さらに一年が経過し、犯人坂下鶴吉の獄中告白書が出版されたことにより、書き手の心は大きくかき乱される。
死刑廃止論者などは、自分の妻なり子なりを強盗にでも殺されて見れば、私の憤慨がどんなに自然であり、正当であるかを了解するだろうと思います
と綴られるその怒りがいかなるものであるかは、菊地の絶妙な筆によって存分に明らかにされている。一方、人間の社会の中で、その期待に応えるような制度としてどのようなものが考えられるかを思いめぐらすことは、読み手ないし私たち社会の構成員一人ひとりに委ねられている。
その解決案をめぐる思いの行き先は、人によって異なるのだろうけれど、この作品と同時期に「
恩讐の彼方に」を著した菊地は、わりと私と似た考えを持っていたのではないかと思ってしまう。違うかなー。

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