『女工哀史』の著者、細井和喜蔵は1897年
5月9日、京都府北部の加悦町(2006年3月より合併により
与謝野町)に生まれた。
永いあいだの失業から生活難に追われて焦燥し、妻のヒステリーはひどくこうじて来た。彼女はちょっとした事にでも腹を立てて怒る、泣く、そしてしまいのはてには物をぶち投げて破壊するのであった。そうかと思うとまた、ありもしない自分の着物をびりびりっと引き裂いて了う。
彼はそんな風に荒んだ妻の心に、幾分のやわらか味を与えるであろうと思って、モルモットの仔を一つがい買って来た。牝の方は真っ白で眼が赤く、兎の仔のようである。そして牡の方は白と黒と茶褐色の三毛で眼が黒かった。
27歳での若すぎる死の後、公表された短編「
モルモット」より。描かれている夫婦は、細井とその妻の姿とさほど変わらぬものであったに違いない。そして、
その辺り一体は荒涼たる工場地で第一草の生えているような空地がない。一つの工場だけにでも一万人からの労働者が集っている大紡績工場が七つもあるのを筆頭に、そのほか無数の中小工場が文字通り煙突を林立させて居る。そして真っ黒な煤煙を間断なく吐き出すので植えても樹木がちっとも育たない。社(やしろ)の境内にはその昔、枝が繁茂して空も見えないほど鬱蒼たる森林をなしていたであろうと思われる各種類の巨木が、幾本となく枯死して枝を払われ、七五三縄(しめなわ)を張られている。そして境内には高さ三間以上の樹木を見る事が出来ないのである。また河はおそろしく濁って居った。染工場から鉱物染料の廃液を流すので、水は墨汁のように黒い。目高一ぴき、水草ひと葉うかばぬ濁々たる溝(どぶ)だ。
という殺伐とした風景は、1920年代の東京そのものであり、グローバリゼーションなどという洒落た表現で総括される資本の運動によって蝕まれたどこかの国の、どこかの街の、今日の光景であるのかもしれない。
関連サイト:
細井和喜蔵を顕彰する会
日本語版ウィキペディアには「細井和喜蔵」も「女工哀史」もないみたいです。そんなもんですか? 日本って、明らかに近現代史の継承に失敗しているよな、などと一般化して考えてみたりする。

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