さて、本日のヤジウマ安吾先生の話は・・
「安吾巷談 − 巷談師退場」
安吾先生のヤジウマ根性は、少しだけなりを潜め、いかに忙しいかと私たち読者に得々と訴える。訴えられた私は、同感。
ー毎日毎日、来る日も来る日も実にキチョウメンに二十四時間しかないときまっている天文暦日の怪と争ったのである。日本の新聞小説というものを書いていると、「二十五時」などゝシャレることはコンリンザイできません。毎日毎日が二十四時間しかないという怖しいキチョウメンさが骨身に徹するのである。ー
新聞小説というものを書こうが書かまいが、天文暦日と争ったことのある人なら、これがわかる。一つのことに長時間縛られるというパターンもあれば、あれもしなければならない、これもしなければならない、それぞれ時が迫っているというパターンもある。私の場合は、後者だろう。それでいつも何かを忘れ、とんでもないことをしてしまう。
ー新聞小説の筆をおいたのが、十月十七日午前九時半。私は筆を投じると、
「アンマ!」
こう叫んだだけである。全身が強直(ごうちよく)した丸太であった。けだし二十四時の怨霊がガッシと肩にしがみついていたせいなのである。ー
マッサージはいいが、”もみかえし”がくるのではないか。あれも痛いものだ。マッサージのやりすぎで、首が回らなくなったことがある私には、安吾の身体が心配である。しかし二十四時の怨霊とはうまく言ったものである。
今月の初めから「安吾巷談」を読み始めた。 公開といっしょに歩んできたのだが、それも今日が最後。安吾独特の比喩と歯切れのよい文体に、吸い込まれて、”追っかけ”をしてみた。久しぶりに”酔うこと”のできる文章との日々であった。安吾の魅力を理解してもらえただろうか?今後公開になる予定の、安吾の代名詞「堕落論」。そういった作品にない”軽快”と通底する”批判”。読み比べるのもまた面白い。
ー 私の巷談なるものは、世間にはこんなこともある、こんな見方もあるということを、お慰みまでに申上げているにすぎないのだが、時に読者から、おほめの書信などいただいて身にあまることでした。一々御返事も差上げませんでしたが、巷談師は一そう責任を感じております。巷談は私のオモチャですから、折にふれ機にのぞんで一生やめないつもりですが、まず連載はこれをもって終ることと致します。長々御退屈さま。ー
私の追っかけなるものは、安吾はこんなところをみている、こんな書き方をしているということを、お慰みまでに申上げているにすぎないのだが、時に読者から、おほめのメールなどいただいて身にあまることでした。一々ご返事も申し上げませんでしたが、追っかけは一そう責任を感じております。安吾の追っかけは私の楽しみですから、折にふれ機にのぞんで一生やめないつもりですが、まず連載はこれをもって終わることと致します。長々ご退屈さま。
・・・と私は最後に剽窃を堪能してみた。
※ 本文にでてくる岩田豊雄というのは、
獅子文六のこと。

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