「墨汁一滴」 正岡子規
ー病める枕辺(まくらべ)に巻紙状袋(じょうぶくろ)など入れたる箱あり、その上に寒暖計を置けり。その寒暖計に小き輪飾(わかざり)をくくりつけたるは病中いささか新年をことほぐの心ながら歯朶(しだ)の枝の左右にひろごりたるさまもいとめでたし。その下に橙(だいだい)を置き橙に並びてそれと同じ大きさほどの地球儀を据(す)ゑたり。この地球儀は二十世紀の年玉なりとて鼠骨(そこつ)の贈りくれたるなり。直径三寸の地球をつくづくと見てあればいささかながら日本の国も特別に赤くそめられてあり。台湾の下には新日本と記したり。朝鮮満洲吉林(きつりん)黒竜江(こくりゅうこう)などは紫色の内にあれど北京とも天津とも書きたる処なきは余りに心細き思ひせらる。二十世紀末の地球儀はこの赤き色と紫色との如何(いか)に変りてあらんか、そは二十世紀初(はじめ)の地球儀の知る所に非(あら)ず。とにかくに状袋箱の上に並べられたる寒暖計と橙と地球儀と、これ我が病室の蓬莱(ほうらい)なり。
枕べの寒さ計(ばか)りに新年の年ほぎ縄を掛けてほぐかも
(一月十六日)−
病院で正月を過したことがある。制限のある食事だったが、それでも元旦は、いつもより色どりが華やかだった覚えがある。その日は、前日までの雪模様をけろりと忘れた快晴だった。足元の良さを、ラジオで何度も言っていた。着飾った人たちが神社に集う様子も、病衣の私には無縁の話だった。ベッドに腰をかけて、箸を動かしながら外を見る。病院の六階、与えられた風景の中の元旦の朝。初夏には、水の入ったそれぞれの田を雲が気ままに行ったり来たりしていたのだった。それが今は雪で蓋をされている。蓋のされた田はつながり、面となる。そこに光は平等に差し込む。一面に輝く。しかし輝きの寿命は、昼ごはんの後の私の倦怠と競争である。夕食が運ばれてきた頃、雪の田は、黒ずんでいた。それは、西に近づくにつれ、まだ微かな輝きを残した。微かな輝きの果てには、茜色の帯がぐるりと地球にまきついていた。蒼い空がそれを喰おうとしていた、その蒼い空を群青色の空が喰おうとしていた。その群所色の空を闇が喰おうとしていた。闇は、病の私を喰おうとしていた。眠れない夜がそこまで来ていた。十六歳の私の溜息を携えて。
病床の子規は、外から地球をみたので、病床の私は、中から地球をみたのだが・・

0