去年の夏、わたしは、人形町へ行った。学生の頃、ここら辺りを訪れたことがあり、そのころに比べて、ビルが増えていたのと、ファミリーレストランの看板が目立った。 しかし人形焼の店先を覗くと、あっという間に学生時代に戻り、そういえばあのころも人形の型からでてくるカステラをじっと見ていた。さて私の学生時代より、ずっと昔の東京。タイムマシーンに乗ってみよう!操縦者は長谷川 時雨。副操縦士は、夫の三上於菟吉。
「旧聞日本橋」 序文/自序三上 於菟吉 長谷川 時雨
ー私はただ忠実に、私の幼少な眼にうつった町の人を記して見るにすぎない。もとより、その生活の内部を知っているものではないし、面白くもなんともないかもしれないが、信実に生(いき)ていた一面で、決して作ったものではないというだけはいえる――
ー私の生れたうまや新道、または、小伝馬町(こでんまちょう)、大伝馬(おおでんま)町、馬喰(ばくろ)町、鞍掛橋(くらかけばし)、旅籠(はたご)町などは、旧江戸宿(しゅく)の伝馬(てんま)駅送に関係がある名です。ー
・・と昭和十年一月十四日付けのこの自序に書かれている。そして夫の序文には、
ー『旧聞日本橋』は、きわめて素直に、少女期以来彼女が見聞した、過ぎし日の現象に関する記録である。ー
”きわめて素直に”これが、長谷川時雨という人なのだろう。一連の『旧聞日本橋』にも伺えるが、
「マダム貞奴」でもその素直な気持ちがいたるところに溢れていて、読んでいて気持ちがいい。読んでいて気持ちがいいというのは、時雨の特徴ではないかと思う。その中から私の好きな一節を。
ー世にはその境遇を問わず、道徳保安者の、死んだもののような冷静、無智、隷属、卑屈、因循をもって法(のり)とし、その条件にすこしでも抵触すれば、婦徳を紛紜(うんぬん)する。しかし、人は生きている。女性にも激しい血は流れている。人の魂を汚すようなことは、その人自身の反省にまかせておけばよいではないか? わたしは道学者でない故に、人生に悩みながら繊(ほそ)い腕に悪戦苦闘して、切抜け切抜けしてゆく殊勝さを見ると、涙ぐましいほどにその勇気を讃(たた)え嘉(よみ)したく思う。ー

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