「暁と夕べの詩」 立原道造
二 やがて秋……
やがて 秋が 来るだらう
夕ぐれが親しげに僕らにはなしかけ
樹木が老いた人たちの身ぶりのやうに
あらはなかげをくらく夜の方に投げ
すべてが不確かにゆらいでゐる
かへつてしづかなあさい吐息にやうに……
(昨日でないばかりに それは明日)と
僕らのおもひは ささやきかはすであらう
――秋が かうして かへつて来た
さうして 秋がまた たたずむ と
ゆるしを乞ふ人のやうに……
やがて忘れなかつたことのかたみに
しかし かたみなく 過ぎて行くであらう
秋は……さうして……ふたたびある夕ぐれに――
「海潮音」 上田敏訳詩集
落葉 ポオル・ヴェルレエヌ
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
昨日の夕方、いつもの公園で、いつものように犬の散歩をしていると、茶褐色と赤の斑模様をした葉が数枚、青々とした芝生に落ちているのを見つけた。このアンバランスな風景は、今という時期だけしかみることができないのか、と思ったとき、二つの詩の題名と作者の名前が思い浮かんだ。
どんな詩だっただろうと遠くを見つめた。太陽が知らないよと言いたげに、少しだけ落ちた。太陽の無愛想より、太陽が動いた瞬間を見ることができたので、得をしたような気分だった。そのとき、子ども達の声がして、振り返ると、落ち葉の上を、白いサッカーボールがだらしなく私の足元へ近づいた。ボールを拾った私は、子ども達に投げた。ボールは、私に挨拶をするかのように、何度も弾んで子供達の下へ帰った。子ども達の「ありがとう」という声が、”すべてが不確かにゆらいでいる”中を確かな一本の芯となり、私に届いた。

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