新聞では、本の広告文が一ばんたのしい。一字一行で、百円、二百円と広告料とられるのだろうから、皆、一生懸命だ。一字一句、最大の効果を収めようと、うんうん唸(うな)って、絞(しぼ)り出したような名文だ。こんなにお金のかかる文章は、世の中に、少いであろう。なんだか、気味がよい。痛快だ。
太宰治「
女生徒」
OK。確かに広告文も青空文庫に収められています。
広告は文学史上の貴重な資料でもあるし、何よりも読んでいて楽しいのです。個人的にはこれでも足りないと思っています。
「広告文」で探すと、以下の三作品が出てきます:
夏目漱石「
『心』広告文」
夏目漱石「
猫の広告文」
宮沢賢治「
『注文の多い料理店』広告文」
「予告」で検索すると、こういう文が出てきました。
色々な意味に於てそれからである。「三四郎」には大学生の事を描(かい)たが、此(この)小説にはそれから先の事を書いたからそれからである。「三四郎」の主人公はあの通り単純であるが、此主人公はそれから後(あと)の男であるから此点に於ても、それからである。此主人公は最後に、妙な運命に陥(おちい)る。それからさき何(ど)うなるかは書いてない。此意味に於ても亦(また)それからである。
夏目漱石「
『それから』予告」
締め切り前の追い詰められた感じが、そこはかとなく漂っています。
これが読めるから、いるのかもしれません。

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