日付をキーワードにして作品を検索していると、寺田寅彦がよく登場する。日記つきの紀行文や随筆を書いているからである。とはいっても、作品の初めにつく日付と私が書く記事の日付が一致する事はなかなかない。
今日は、そのめずらしい例。
七月十七日朝上野発の「高原列車」で沓掛(くつかけ)に行った。今年で三年目である。駅へ子供達が迎いに来ていた。プラットフォームに下り立ったときに何となく去年とはあたりの勝手が違うような気がしたがどこがどうちがったかということがすぐとは気が付かなかった。子供に注意されて気がついて見るとなるほどプラットフォームに屋根が新築されて去年から見るとよほど停車場らしくなっている。全く予期しないものは眼に写っても心には写らないのである。
実はわずか四日間の旅であったらしい。その中で作者は色々動き回る。そして、書く。駅舎の観察、鴨の観察、顕微鏡での観察、祇園祭見物、「かつて聞いた事のない唱歌のような読経(どきょう)のような、ゆるやかな旋律」、気候と気質の関係についての思索、笑い声についての思索・・・
決して長い滞在ではないのに、ここまでやったら頭が疲れてしまいそうだ。
しかし、作者にはまだやり足りなかったことがあった。
七月二十一日にいったん帰京した。昆虫の世界は覗く間がなかった。八月にまた行ったとき、もう少し顕微鏡下の生命の驚異に親しみたいと思っている。
頭の体力ももう少し欲しい、と切実に感じる私である。
寺田寅彦「
高原」
祇園祭(長野市観光課HPより)

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