大正14年の今日、ラジオの本放送が開始したのだそうだ。
数年前、一度だけ私は、ラジオに出演したことがある。アナウンサーをしている知人に頼まれて、彼の生放送のトーク番組に出演し青空文庫のことを話した。いや、話してはいない。「あ、はい」と言っていただけであった。
その数日前「青空文庫のことについて話してくれないか」という電話を私はもらった。簡単に何でもひきうけてしまう私は、「いいですよ。」と軽く答えた。その軽さは、受話器を置いたとたん、重さが加わった。私の声が、一方的に流れるのだ。「あ、どうしよう。どうしよう・・」・・断りの電話をすることは、反対に言いくるめられそうだったので、一方的に、「考えさせてください」と日本流の断り方を書いてFAXを入れた。しかし抹殺されてしまった。「出演を軽く受けた後悔」で大きなうねりが何度も押し寄せた。またFAXを入れた。当然無視をされた。
当日、バスに乗ってきてください。ということだったので、バスにゆられながら、携帯のメールで友達に「どうしよう?」と足掻いた。みんな「がんばってね」とエールを送ってくれ、誰一人代わってあげようとは言ってくれなかった。というより、誰にも代わることのできない内容だから・・
さて、いざスタジオに入り、決まりを教えてもらっている間、目が空ろだった。いよいよマイクの前に座った。私の足は震えていた。じっとテーブルの模様を眺めていた。ちょっと見上げてみると、対面に知人の心配そうな、それでいて温かいまなざしがあった。彼の温かさは十分知っている。知っているが、私の心臓が私の口から飛び出しそうだった。口の中では確かに心臓の味がした。
「やはり私は話すより書くほうがいいわ」と終わってから喫茶店でお茶をのみながら、その知人に言った。
「私も、そう思うよ、書くほうが合っているよ」と彼は笑いながらお茶を飲んだ。
ラジオに出演してみて何が一番怖かったか・・
「ラジオ時評」宮本百合子
ーラジオには、いきなり聴きての賛成も不賛成も表示されないというところで、送り出す側は自身の優位に却って足もとを掬(すく)われている傾きがある。ー

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