「鴎外はいた」をaozora blogに私が書いてから一年経った。今日は、鴎外の命日である。
「遺言三種」
ー墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス書ー
私が三鷹の禅林寺へ行ったのは、学生時代の最後の6月だったように思う。水色から群青色まで様々な紫陽花が墓の周りにあった。紫陽花に目を奪われて、その目を墓石の名前に向けて奥の方へ進んで行った。そこでみつけた暗い色の石には、確かに「森林太郎」とだけ彫られてあった。軍医、作家など、様々な顔を持っていたが、最後は、一介の森林太郎として死ぬことを思ったのだろう。そうとも考えたが、もっと単純に「鴎外」でいることに疲れたのかもしれないとも思う。
鴎外の向かいに眠るは、太宰治。太宰が鴎外の近くに眠りたいと生前語ったのではなかったか。太宰の墓は「太宰治」である。やはり彼は「太宰治」なのだ。津島修治には戻らなかった。
二人は、天国で何を語り合っているのだろうか。日本の文壇よ!しっかりせい!と、エールを送っているのだか・・・

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